南スーダンで活動する自衛隊〔PHOTO〕gettyimages
防衛・安全保障 憲法

日本はずっと昔に自衛隊PKO派遣の「資格」を失っていた!

誰も言わない本当の論点

PKO活動とはなにか

「戦闘」とか「衝突」とか、もう、どうでもいい。

2011年に南スーダンPKOに自衛隊を送った旧民主党政権があのまま続いたとして、今のように現地の治安状況が悪化して、例えば共産党が今の民進党と同じ質問をしても、防衛大臣は今の稲田氏と同じような答弁をしてたはずだ。

そもそも国連によるPKO活動とはなにか。

日本社会の大いなる勘違いについては、この拙文を参照されたい:自衛隊「海外派遣」、私たちが刷り込まれてきた二つのウソhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/47860)。

本来、国連憲章の中にPKOの定義はない。それは「運用」でなされてきた。

実務家の間では「6.5章」、すなわち紛争の当事者の同意の下の平和的解決を謳う国連憲章第6章と、武力介入を含む強制措置としての7章の中間に位置すると。つまりPKOは「紛争の当事者の同意の下の軍事的介入」なのだ。

国連ができる前から、いわゆる「権利としての戦争」は国際法上違法化されている。

第一次湾岸戦争でクウェートに侵攻したイラクのサダム・フセインのような「侵略者」が現れれば別だが、国連は本来、主体として、武力行使をするものではない。PKOの現場である「内戦」は、侵略ではない。

しかし第二次大戦後、植民地支配から解き放たれて数々の独立国が生まれるようになると内戦の時代が始まる。そして国家間の戦争と同等、それ以上の被害を出し始めた。

さらにそれらは、周辺国を巻き込む一種の国際紛争の様相を呈してくる。今の南スーダンがまさにこれだ。

同時に、国際法、後述する「紛争当事者が守る交戦のルール」である「国際人道法」の運用も変貌する。紛争の当事者として想定されていたのは「国家」だったが、それ“以下”のものにも、同法を守らせなければならない、という考えになってくる。それが1977年ジュネーブ諸条約追加議定書だ。

さて、この内戦の時代を国連として、どうにかしなければならない。

「6.5章」で国連が紛争当事者の同意の下で武力介入をしても、その同意が破れ武力を「行使」したら、その主体としての国連は、国際人道法上、どう位置付ければいいのか。

国際人道法を批准するのは各国連加盟国だ。国連は、批准しない。じゃあ、どうする?

ルワンダのトラウマを経て

国際人道法は、同法で定義する「紛争の当事者」同士で合法的に交戦するルールを国連ができるずっと前から積み重ねてきた慣習法だから、合法的な「紛争の当事者」同士は平等とみなす。

では、国連が交戦した場合、はたして、その「紛争の当事者」になるのか否か。この辺が、あやふやだったのだ。あやふやのまま、PKO活動は内戦の時代を奔走する。

ところが1994年、内戦の紛争の当事者——当時の政権と反政府ゲリラ——この両者の同意の下に停戦を見守るというマンデートで入ったルワンダで停戦が崩壊してしまう。政権多数派の部族住民が少数派の部族住民を虐殺する事態になったのだ。

この場合、虐殺を止めるために武力を行使すると、必然的にPKOが政権側の勢力と交戦になる。だからPKOは何もできなかった。結果、100日間で100万人という信じられない数の住民が犠牲になった。

PKOが住民を見殺しにした。これが国連の組織的なトラウマになる。同時に、同じような人道的危機がルワンダの周辺で進行する。隣のコンゴ民主共和国や、南スーダンが誕生する前のスーダン内戦だ。

このトラウマから現在のPKOの変貌については、この拙文を参照されたい:南スーダンの自衛隊を憂慮する皆様へ~誰が彼らを追い詰めたのか?http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49799)。

そして、ついに1999年。アナン国連事務総長(当時)は、ある告示を宣布するのだ。PKOのような国連部隊に「国際人道法を遵守せよ」と。

繰り返すが、国際人道法とは「紛争の当事者」に、戦闘(衝突でも構わん)つまり交戦をする際に課すルールだ。同法を遵守するということは、当たり前だが、「紛争の当事者」になることを意味する。この告示の意味はここなのだ。

「国連が紛争の当事者」であると、国連が、国連史上初めて宣言したのだ。