野球
大下剛史に聞く(4)1991年、広島はなぜ日本シリーズで敗れたか
鬼軍曹の野球哲学
二宮 清純

大下 もう、ありとあらゆる知恵を使いましたよ。たとえばメンバー表を交換する際に、敵の首脳陣に「ピッチャー、誰よ?」と聞くんです。

二宮 聞いて、どうするんですか?

大下 左ピッチャーの場合には、ズボンの左後ろのポケットから、左ピッチャー用のメンバー表を。右ピッチャーの場合には、その逆をやるんです。

二宮 反則ぎりぎりというより、はっきり言って反則ですね(笑)。

大下 やっぱり、悪いことは見つかるもんですよ。ヤクルト戦でついにミスを犯してしまった。逆のメンバー表を出してしまったんです。「あぁ、違う違う。こっちやない」って(笑)。

二宮 ヤクルト側もびっくりしたんでしょうね。

大下 ヤクルトのあるコーチが呆れたように言いましたよ。「そこまでして勝ちたいんか?」って。僕が「おう、勝ちたい」と返すと、「わかった。それなら好きな方を出せ!」と。

二宮 よく審判が、それを認めましたね。

大下 審判は苦笑いしていましたよ。「大下さん、こういうのは今回限りにしてくださいね」って。

二宮 確か91年のシーズンは右のロッド・アレンと左の西田真二が交代で四番を務めたりしていましたね。

大下 打てるのがおらんのやから仕方ない。その頃、横浜の監督をしていた須藤豊さんから、こんなアドバイスをもらいましたよ。「剛史、オマエ、四番をころころ代えるな。西田で行け。“あいつは度胸があるから怖い”とウチのピッチャーが言っとるぞ」と。今にして思えば、良い時代ですよ。

 

鍛えても壊れなかった新井

二宮 大下さんと言えば、コーチ時代は“鬼軍曹”と呼ばれていました。いろいろな選手を鍛え、育てましたが、一番思い出に残っている選手は?

大下 今、巨人で一軍打撃コーチをしている江藤智が広島に入ったのが89年。僕が3度目のコーチの時ですよ。

彼はもともとはキャッチャーやった。ところが1年目のオフ、球団本部長の上土井勝利さんから、「秋のキャンプで江藤をサードで使うてくれ」と頼まれたんです。本職のキャッチャーも満足にできん者がサードを守れるわけがない。ところが「来年はサードで使うから、殺してもいいから鍛えてくれ」と上土井さんも引かないんですよ。

それで日南の秋のキャンプでは徹底して鍛えました。すると、グラウンドからホテルまで泣いて帰った。こっちが「帰れ!」と言ったのを真に受けちゃった。ホテルの女性が心配して、「あなたね、“帰れ”とはいっても、それは口だけだからね。大下さんは、そういう人よ」と江藤を慰めたというんです。

二宮 その後、江藤はどうしたんですか?

大下 ずっと自分の部屋で泣いとったらしい(笑)。

二宮 99年にドラフト6位で入団した新井貴浩は大下さんの駒大の後輩です。2016年のシーズンはセ・リーグMVPにも輝きました。39歳での受賞はリーグ最年長というオマケ付きでした。

大下 新井はね、駒大の太田誠監督から「こいつは就職先がないから、オマエ、広島に連れて帰ってくれんか」と頼まれたのが入団のきっかけですよ。契約金も2000万円か3000万円か、それくらいしかもらっていない。

新井についてはね、親に感謝せんといかんと思う。強い体と素直な心。それを親からもらったんやろうね。まさかアイツが2000本安打も打つなんて、想像もできんかった。とにかく、どれだけ鍛えても壊れんかった。それが彼の最大の財産やろうね。

(了)

読書人の雑誌「本」2017年2月号より