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ヘーゲルが21世紀に生きていたら、広告代理店で活躍していただろう

慣れれば面白くなるドイツ観念論

哲学は現実を超えない

18世紀末から19世紀初めに活躍したドイツの哲学者ゲオルグ・ウィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831年)の名前を聞いたことがある人は多いと思う。

しかし、ヘーゲルの著作を1冊でも読んだことがある人となるとほとんどいないだろう。ヘーゲルの文体には独自の癖があるので、慣れるまでは面倒だ。しかし、我慢してドイツ観念論独特の表現法を習得すると、ヘーゲルの論理が面白くなる。

本書では、廣松渉氏と加藤尚武氏が、ヘーゲルの著作からの抜粋を並べ換えるだけでこの哲学者の思想をわかりやすく読者に伝えることに成功している。

まずヘーゲルは、人間は誰一人例外なく時代の制約の下で生きている事実を強調する。

〈ここがロードスだ、ここで跳べ。

哲学の課題は、あるところのもの[das was ist]を概念的に把握することにある。というのは、あるところのものは理性だからである。個人に関していえば、あらためていうまでもなく誰しもその時代の子であるが、哲学もまた、その時代を思想というかたちで把えたものである。哲学が現在の世界を超え出たつもりになるとすれば、それは個人が自分の時代を跳び超え、ロードス島を超えて外に出ようと夢想するのと同様に愚かである。当人の理論が実際にその時代を超え出るとすれば、そして彼が一つのあるべき世界を樹てるとすれば、それはなるほど在るにはあろうが彼の私念のなかに在るというにすぎない。(『法の哲学』序文)〉

 

先般亡くなった渡辺和子氏は「置かれた場所で咲きなさい」といつも強調していたが、職場でも今いる場所できちんとした仕事が出来ない人は評価されない。「自分は、周囲の凡庸な連中とは違う」とプライドだけが高く、仕事が出来ない若手には、「ここがロードスだ、ここで跳べ」と目の前で仕事をさせると大きな教育的効果が期待できる。

ヘーゲルは基本的に保守的な思考をしている。

〈哲学は理性的なものの根本を究めることであり、まさにそれゆえに、現在的で且つ現実的なものを把握することであって、彼岸的なものをうち立てることではない。〔……〕
 理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である。虚心坦懐な意識はいずれも、哲学と同様、この確信に立っているのであって、哲学は自然的宇宙の考察に際してと同様、精神的宇宙の考察においても、この確信から出発する。(『法の哲学』序文)〉

現実に存在している事柄は、若干、理不尽に思われることがあっても、それが存在できる根拠がある。こう考えれば、職場環境で問題があっても耐えることができる。常軌を逸したことが起きた場合には、必ず理性的で現実的なものが勝利することになる。'02年にあれだけ非難された鈴木宗男氏の北方領土交渉が現在は冷静に受け止められているのも、交渉方針が現実的だからだ。

さて、ヘーゲルは市民社会(資本主義社会)は、人間同士が利用・被利用の関係を基本とする「欲望の王国」と考え、こう述べている。

〈市民社会においては、各自が自分にとって目的であり、他のものはすべて彼にとって無である。とはいえ、他の人々との関係なしでは、彼は自分の目的の全範囲を成就することができない。それゆえ、これらの他者は特殊者たる各自が目的を達成するための手段である。しかるに、当の特殊的目的は、他者との関係を通じて普遍性の形式を与えられ、他人の福祉を同時に充たすという仕方で充足される。(『法の哲学』第一八二節補遺)〉

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