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社会風俗
「色街」の過去と現在を追って、湿った路地裏をさまよう
失われゆく記憶

今はなき玉の井という街

前田豊『玉の井という街があった』、神崎宣武『聞書き遊廓成駒屋』、井上理津子『さいごの色街飛田』と、こう3冊を並べてみると何やら壮観の趣が漂うようである。

関東大震災後私娼窟から赤線地帯へと発展した東京墨田区寺島町の玉の井。

日本でも最大級の遊郭として大正昭和期に殷賑を誇った名古屋駅裏の中村遊郭。

大火で焼失した難波新地乙部の代替地として新設されたという近代大阪の色街飛田。

東京、名古屋、大阪と日本列島を西へ横断するような色街の配置ではあるけれど、それぞれ思い入れがないわけではない。

玉の井は永井荷風の『濹東綺譚』の舞台だし、赤線に隣接する地区での日常を少年の目を通して綴った、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』をドラマ化(昭和51年)した際には、せめて片鱗でも往時の残滓を嗅ぎ取りたくて界隈を歩き廻ったものだった。

上京したのが昭和32年の5月では当面、環境に慣れるのが精一杯、33年4月の売春防止法施行までの短い期間に東京での遊里探検などは思いもよらなかったわけである。

戦前の玉の井の最も華やかな時代に青年期を過ごしたという著者の案内で、銘酒屋という飲み屋に見せかけたみすぼらしい二階屋が櫛比する迷路のような露地へと誘われる。

ドアの両側の小窓から女が顔を覗かせて「ちょっと、ちょっと」と手招く陰湿でほの暗い私娼街も昭和20年3月10日の大空襲で全焼、戦後の新興玉の井ではタイルとガラス張りの店舗に改められ、「女給さん募集」の貼り紙で高校出や女子大出の器量よしの素人娘が面白いように飛び込んできて活況を呈したという。

そして売春防止法でのお定まりの終焉。現在ではまるであっけらかんとした普通の街となり果て、昔を想起させるよすがは何も残されていないのだ。

娼婦に打った注射の秘密

聞書き遊廓成駒屋』の著者は昭和52年、降り立った名古屋の駅裏を徘徊するうちに、まるで映画のセットのような巨大な遊郭建築群の街並みに迷い込む。その一軒が今まさに解体されようとしていた成駒屋で、わずかに残存していた民具類等を民俗学上の資料として確保し、聞き取り調査を始める。

昭和34、5年頃だったと思うけれど、東京から土佐中村へ帰るとき名古屋という土地への興味から途中下車、偶然にも駅裏に出てしまい猥雑極まりない界隈を、しかも郷里の町と同じ地名に茫然としながら彷徨い歩いたことがある。

中村遊郭は最盛期の昭和12年、娼家の数は約140軒、娼妓は約2千人。

 

かつて遣り手をしていて、売春防止法の後はトルコ風呂経営に転業しているお秀さんに「あんたもしつこい人じゃのう」と呆れられながら著者はテキ屋の親分、街娼、偽医者まで聞き取りの人脈を広げてゆき、成駒屋に残存していた品々の謎を解き明かしていく。

不思議なことにリンゴ箱にいっぱいの夥しい医薬品も残されていて、その中にはキニーネのような注射液も含まれていた。治療上はあり得ないことだが、二種類の薬を指定して掛け合わせて注射をするようにとのメモがある。

これは副作用によるマラリヤのような高熱によって一時的に梅毒や淋病などの病原菌の活動を抑えることを狙ったものではないか。その状態であれば週一の性病検査日にはパスできるだろうから、キニーネは高熱から正常な状態に戻すための解熱の特効薬として利用されたのではないか、との推論が成り立つのだ。

性病に罹っても休養はおろか無謀な投薬によって、身体がボロボロになるまで収奪し尽くされるシステムの無惨さに言葉を失う。