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「都議会のドン」内田茂、引退の真相〜本当に小池の勝ちなのか?

激震の都政・内幕レポート

「地方政界のドン」の力の源泉

小池百合子東京都知事が繰り広げる、いわゆる「小池劇場」が注目されるほど、相対的にその存在がクローズアップされてきたのが、東京都議会自民党の内田茂・東京都議(77)だ。

誰もが認める「地方政界のドン」だった内田氏。小池知事は、それを「ブラックボックス」と呼び、対立軸を作った。

その内田氏が、2月25日、ついに次期都議選への不出馬を明らかにした。理由については、出馬すると任期中に80歳を超えるため定年の内規に触れること、体調に不安があることを上げた。小池知事は標的を倒したことになるが、長年都政を取材してきた私は、内田氏の言葉を額面通りに受け取ることはできない。

私は、このところの混乱の中で、「ドン」や「ブラックボックス」と称され、メディアが「悪」のイメージの延長線上で内田氏を捉えていることに、違和感を持っている。確かに実像というべきところも一部あるが、そのほとんどは明らかな虚像である。

意外に思う読者もいるかもしれない。今回は、まさにその「虚実」について記してみたい。

もちろん、内田氏が地方政治家として歩んできたなかで、罪と呼ぶべきものに手を染めたこともあることは間違いない。

敵対した相手や追い落とされた人間からすれば、内田氏は「冷徹な男」と映っていただろう。都議会自民党や東京都連の運営のなかでも、「意見が言えない。風通しが悪い」(2期目の自民党若手都議)という声も聞こえてくる。

 

しかし、一方の「虚像」の作られ方は、異常というべきものだった。引退を決めた今こそ内田氏に関する真実を整理しておくことで、「小池劇場」や「東京の問題」の本質がより正確に見えると思うのだ。

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話は、1998年にさかのぼる。

世界都市博覧会の中止を、青島幸男・東京都知事(当時)が決めるなど、都政が大きく揺れていた頃だ。私もその内情を一人の記者として集中的に取材していた。

反青島都政の急先鋒だった都議会自民党の幹事長に就任したのが内田氏。ある日、その就任パーティが開かれたのだが、私はその会場を覗いて「ドンの力」に驚いた。

ホテルの会場に詰めかけたのは、なんと2000人超。東京選出の国会議員はもちろん、党本部の三役以下幹部らも全員が顔を揃えていたのだ。

それだけではない。東京に本社を持つ大手ゼネコンからメーカーまで、各社の幹部が幅広く出席。その人脈と資金力をまざまざと見せつけられた。自民党都連幹部は「国会議員並み、いや国会議員以上のパワーだ。東京で何かやる場合には、内田さんを通さなければできないことを示している」と話した。

 

内田氏は、1939年東京都・神田の生まれ。1975年から千代田区議を4期、都議会議員を7期務めるという、地方議員の一本道を歩いてきた。

「政治家を志したきっかけとして内田さんが話しているのは、20代の頃火事に遭って一家離散状態になったこと。内田さんの弟さんには障害もあった。そんなときに、のちに参議院議長にもなる安井謙氏が弟さんのための施設を紹介するなど親身になって助けてくれたそうです。

そのとき、自分も政治家になろうと思ったのだそうです。いまの若い政治家は、その多くが高学歴で家庭も恵まれているが、内田さんは、苦労の中から這い上がってきたという典型的な叩き上げタイプで、それが強さの源泉でしょう」(前出都連幹部)