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エンタメ

小川洋子が新作で描く"異彩"を放つ人の「素通りできない」愛しい姿

現実と虚構の摩訶不思議な世界

はかなげなさに宿る人間臭さ

小川洋子さんの新作『不時着する流星たち』は、作曲家グレン・グールドや作家のパトリシア・ハイスミス、あるいはオリンピックの男子バレーボール代表や世界最長のホットドッグなど、実在の人物や出来事を端緒に、その印象や痕跡のようなものを10篇の物語に昇華させた短篇集です。

各篇のモチーフはどのような基準で選ばれたんでしょう。

理屈で説明できないのがなんとももどかしいのですが……ひとことで言えば素通りできない人びとや出来事、ですね。

 

例えば「若草クラブ」のエリザベス・テイラーは、波乱万丈な人生を送ったことで知られている往年の大女優ですが、私自身はそれまであまり興味が持てなかった。けれど、足のサイズがたったの21cmしかなかったと知った途端、急に「お仲間だ!」という気がしたんですよ(笑)。

—彼女が8回結婚して7回離婚したという、わかりやすく華やかな経歴よりも、足のサイズの小ささのほうが、魅力的な物語のタネとして映った、と。

ええ。有名か無名かはまったく関係がなく、そんなふうに、私自身が勝手な親しみや懐かしさを覚えた瞬間があったものを集めた感じです。

—作中の言葉を借りれば「同志」ですね。一方、ここに出てくる人びとの多くは、非常識だったり、ある意味病気だったり、極端にいえば犯罪者だったりします。

でもそれは、彼らにとってはそれ以外に生きる方法はないというだけのこと。外からは、危なっかしくて壊れそうに見えるんだけど、当人たちはものすごく強固な王国を築いている。そういう人たちの持っている人間臭さに私は愛おしさを覚えるんです。

—「手違い」という一篇の中に、死者をあの世へと導くために葬儀に参列する
という役目を背負った「お見送り幼児」なるものが登場しますが、あの用語は小川さんの創作ですよね? あまりにディテールがリアルなので、どこまでがフィクションなのかわからなくなりました。

それが小説の面白いところですよね。極端なことを言えば、各話の最後に用意した、モチーフとなった実在の人物や出来事に関する記述だって、どこまでが本当かはわからない。私が空想してつくりあげたと思ったものだって、じつは現実かもわからない。それこそパトリシア・ハイスミスが、ペットのカタツムリたちを乳房の下に隠して引っ越ししたという逸話なんて、私が描いた「カタツムリレース」よりよっぽど非現実的な出来事ですから(笑)。

そんなふうに、現実と物語が案外ひと続きで存在しているんだということが、この一冊に表現できていたらいいな、と。

価値観に収まるだけがすべてじゃない

—ご自身にとって特に思い入れのある一篇はありますか。

自分の小説の書き方というものを再確認できたのは「十三人きょうだい」。あれは、植物学者の牧野富太郎に13人子供がいたということ、ただそれだけの事実から出発している小説なんです。

最初はただ、その13人兄弟のいちばん末っ子である「サー叔父さん」を、どんな親族にも必ずいそうな変わり者として書くだけのつもりでした。言うなれば北杜夫の『ぼくのおじさん』に出てくるような、ほのぼのしたイメージになると思っていたんですよ。

ところが、姪っ子である語り手の女の子が叔父さんの本当の名前を尋ねた瞬間に、「ああ、この人本当は死んでるのかな」って私自身がわかってしまった。小説を書いていくスピードと、自分が叔父さんを理解していくスピードが重なり合っていた感じでした。