経済・財政
かつて日本はギャンブル大国だった!?驚きの「近代賭博史」
カジノ建設の前に、知っておくべきこと

1400年前の「ギャンブル禁止令」

昨年末、カジノを中心とする統合型リゾート(IR)整備推進法、いわゆるカジノ法が衆議院を通過しました。このままいけば、日本でカジノが合法になる日も遠くないでしょう。

カジノを中心とする総合型リゾートと聞くと、ラスベガスなどを思い浮かべるかもしれませんが、実はこれは日本にとって新しいものではありません。ほとんど同じものが、江戸時代に存在していたのです。

その中心にあったのは神社仏閣で、金刀比羅宮(香川県琴平町)や出雲大社などがその代表です。金刀比羅宮では、参拝客を長期に逗留させようと、富突や芝居興行がおこなわれていますし、出雲大社も富突(とみつき、後述)と相撲興行で有名でした。

さらに名料理、名産品の店、そして大人の遊びができる花街や茶屋なども門前町にありました。観光客はここに長く宿泊して、娯楽を満喫するのです。そして、こうした施設が併設されたことが、金刀比羅宮や出雲大社の繁栄につながったとも言われています。

その意味では、今、政府が目指しているものは、斬新な発想というよりも、むしろ伝統的な景気刺激策と言った方がいいのかもしれません。

同時に政府は、今年中にギャンブル依存症の対策をまとめた法案も出すそうです。確実に依存症患者が出ることがわかっていながら、それでもカジノを公認するのはやはり、日本経済全体に大きなメリットがあると考えているからでしょう。

すでに各地の自治体がカジノ誘致に動き出しているようですが、はたして政府が考える通り、ことはうまく運ぶのでしょうか。今回はその問題を過去の歴史から考えてみたいと思います。

ギャンブル(賭博)は、日本でも古代から存在しています。ただ、基本的に時の政権はすべて、賭博を抑制する方向で動いてきました。その理由は、賭け事を国家の収益にするという発想がなかったことと、農民がハマり過ぎた結果耕作を放棄するなど、社会のマイナス面を放置しておけなかったからだと思います。

早くも持統天皇の689年には、双六賭博を禁止する法令が出されています。しかし根絶するのは難しかったようで、その後もたびたび朝廷は双六を禁止する法を発します。それは鎌倉時代以降、武家政権になってからも変わりありません。

 

江戸時代になると、庶民の間にも賭け事が広く浸透し、囲碁や将棋、かるたも賭け事の対象になっていきました。現代で言えば、ゴルフや麻雀がそうした対象になっているのと似ています。この頃の賭博といえば、二つのサイコロを投げて出た目を合わせ、半(奇数)か丁(偶数)を当てる賽賭博が主流でした。

江戸幕府はこれらの遊戯で金や品物を賭ける行為を頻繁に禁じていましたが、賭博行為はいくら禁令を出してもやまなかったので、1664年には「賭博に負けて金銭や財宝、衣服を取られた者は、幕府に訴え出たら賭博の罪を許し、奪われたものも取り返してやる」という法令まで出る始末でした。

さらに1788年には「賭博がおこわなれていることを密告した者には褒美を与える。罪に問わない」という触れも出ています。今で言えば、司法取引ですが、そうした苦肉の策まで導入しなければならないほど、賭博を法律で規制することは難しい、と言うことでしょう。

時期によって異なりますが、江戸時代、賭博の主催者や賭場を貸した者は、流罪になるのが一般的でした。客はそれより軽く、捕まると家財没収を含む罰金刑や重敲(100回背中を笞で叩かれる)で済みました。ただ、常習者、つまりギャンブル依存症患者には厳しい処分が下されました。

たとえば、江戸の築地本郷町に住む小左衛門は、1669年に「手鎖」という処分を受けて家主に預けられていたのに、部屋から抜け出して博打をしていたことが発覚、死罪となっています。処刑されるとわかっていても賭け事をやめられない。それは依存症の恐ろしいところなのでしょう。なかには賭ける金ほしさから、窃盗や詐欺などに手を染める者も少なくありませんでした。

それは現代も同様で、実は私も被害を受けた一人です。