政治政策

石原慎太郎都政「問題だらけの8年」を再検証する

<「モノ言う知事」の品性と功罪>(前編)
青木 理

「公」のない人

「石原さんはいわば究極のポピュリスト。何が世論受けするかを嗅ぎ取って派手な打ち上げ花火を上げる感性は鋭いが、常に拙速と思いつき。体系的、持続的な思考ができない人なんだ」という都の部局長経験者は、石原の手腕をこう酷評する。

「ディーゼル車規制といっても石原さんが環境問題を真剣に考えているわけじゃない。環境問題に取り組むなら水質汚染や緑地対策などトータルな対策が必要なのに、石原さんはディーゼル車規制だけ。銀行税にせよディーゼル車規制にせよ、瞬間的な判断で世論の心をつかむのは得意だが、はっきり言えばそれだけなんだ。行政で最も重要な体系的、持続的な積み上げの姿勢がまったくない。一定のメドがついたとされる財政再建にしても、景気回復に助けられた部分が大きい」
 
前出の都庁幹部の見方も同様だ。

「江藤淳さんが石原さんを『孜々として努めるところが見えない』と評したのは名言だと思う。石原さんはいつも一時の思いつきで強引に突き進むが、後が続かない。もっと問題なのは、石原さんに、そもそも『公』という発想がない点だ。だから自己顕示欲を満たすような思いつきで動き、周囲に側近やイエスマンを侍らせ、組織がおかしくなっていく。石原都政の問題点は最初っから一貫していた」
 
こうした都庁幹部たちの石原評を踏まえて冷静に振り返ると、石原の号令に基づくアクティブな試みが肯定的効果を及ぼしたように見えたとしても、それは都政初期のわずかな期間に限られていることに気づく。また、そこにはすでに石原流トップダウンの病理も透けて見えており、実際にその後の石原都政を眺めれば、強引な独善と場当たり的な施策の悪弊が極大化し、都政の現場は混乱と怨嗟ばかりが渦巻いているのである。

都民に必要ない銀行

2003年4月の都知事選で、石原は300万票という圧倒的な得票で都知事再選を果たした。銀行税やディーゼル車規制などで国に波紋を巻き起こし、「モノ言う知事」のイメージを作り上げた石原の勝利だった、と言えるかもしれない。
 
そんな石原が2期目の公約として掲げたもののうち、具体性があって目を引くのは2つ。「中小企業の能力を引き出す新しい銀行の創設」と「これまでにない新しい大学の実現」である。
 
このうち「新しい銀行の創設」は05年4月、都が1000億円という巨費を出資する「新銀行東京」として結実した。「中小企業の能力を引き出す」と公約でもうたい上げられた通り、大手銀行の貸し渋りに悩む優良な中小企業に無担保融資を実施して成長を支援する、というのが最大の売り物だ。
 
だが、新銀行東京の発足にも関与した都庁関係者はこう打ち明ける。

「実は都庁内でも当初から『うまくいくはずがない』と囁かれていた。貸し渋り対策というけれど、制度融資など都には中小企業支援のための別の方策がある。なぜ新銀行でなければいけないのか理解できない。そう言って、考え直すよう進言する人もいたんだが、石原知事の命を受けて動く幹部は聞く耳を持たなかった」
 
実際、新銀行は2006年9月期決算で154億円もの赤字を記録、既に累積赤字は500億円近くに膨らんでおり、設立から2年も経たぬうちに投資した都税の半分近くが消えてしまった計算だ。赤字を改善できねば今後2年ほどで資本を食いつぶしてしまう可能性もあり、行員らも櫛の歯が欠けるように辞めていると言われる。

石原自身、05年12月の会見で「思ったようにはいっていないというのが率直な見解」と認め、昨年12月の会見では「立て直す知恵を出す」と力んでは見せている。しかし都庁関係者はいずれも「さらに赤字が膨らむのは必至」との見方で一致しており、ある都庁幹部は「石原都政で最悪の失政の一つになるかもしれない」と言い切る。

当初から無謀と分かっていた新銀行に漂う暗雲──。だがなぜ、これほど無茶な計画がまかり通ったのか。

都幹部らによれば、新銀行は銀行税と同様、大塚俊郎(当時は出納長)が主導し、石原の命によるトップダウンで実現に漕ぎ着けた。石原自身の地元で三男・宏高の選挙区でもある品川、大田区あたりは中小企業が多く、銀行税の経験から『銀行叩き』は受けるという計算もあったろう。だが、何といっても石原や側近が独善性を強め、都庁幹部も徐々にイエスマンばかりになってしまったことが大きいと、前出の都庁関係者は指摘する。