政治政策

石原慎太郎都政「問題だらけの8年」を再検証する

<「モノ言う知事」の品性と功罪>(前編)
青木 理

「銀行税」の衝撃

翌2000年の2月7日、都庁で開かれた知事会見。石原はいつものように目をしばたたきながら「この会見は私が就任してから一番大事な会見の一つになる」と語り、一部の都幹部や側近だけで極秘に検討を進めてきた大銀行への外形標準課税、いわゆる「銀行税」構想を発表した。
 
自ら「ヘッドスライディングのホームスチール」と評し、「皆さんが味方になってくれないと困る。セーフになるだろうが、(それは)世間次第だ」と語った通り、発表は賛否両論が渦巻く大きな波紋を引き起こした。
 
概略のみ記せば、銀行税とは都内に本支店を持つ資金量5兆円超の銀行を対象とし、5年間の時限措置で法人事業税に外形標準課税を導入する、というのが柱だ。しかし当時の自民党執行部や大蔵省は「課税の公平性」などの観点から相次いで疑念を示し、課税対象となる銀行はもちろん財界も激しく反発した。

しかし一方で、民主党などから「真剣に検討すべき」との声が漏れ、都議会では共産党までもが歓迎を表明。バブル崩壊の後遺症から大銀行への怨嗟が積もっていた世論は石原に喝采を送った。「東京から日本を変える」と訴えた石原にとっては、まさに都政1期目で最大となる「会心の打ち上げ花火」だったろう。
 
その背後の事情を都庁幹部が振り返る。

「銀行税は別に石原さん独自のアイデアというわけじゃない。大企業課税を狙った美濃部亮吉都政下でも外形標準課税は検討され、都庁では主税局を中心に長らくの悲願だった。石原さんが『国に一泡吹かせるような新政策を出せ』とハッパをかけたこともあり、主税局長だった大塚俊郎さん(現副知事)が構想を持ち込んだ。銀行憎しの世論も強かったころだから、石原さんも『行ける』と踏んで食いついたんだろう。そういう風向きを読むことにかけては天才的な人だから」
 
石原が銀行税に先立って打ち出し、国や財界を巻き込んでやはり大きな波紋を巻き起こしたディーゼル車規制問題でも、類似の構図が見て取れる。
 
排ガスのススを入れたペットボトルを振りかざし、

「これをみんな吸っているんだ」
「国がやらないから都がやる」

 
そう訴える石原──。その姿はメディアを通じて拡散し、初期の石原都政を代表するシンボルの一つとなった。これもやはり霞が関や自動車業界などが相次いで疑問の声を上げる中、東京が独自条例での規制に突き進んだことは世論の好感を集めた。前出の都庁幹部が続けて言う。

「(都の)環境局が知事への説明のためスス入りのペットボトルを持ってきたのを見て『これは受ける』とひらめいたようだ。特に1期目は都議会もオール野党状態だったから、銀行税やディーゼル車規制など広く世論受けする政策に食いついたんだろう。そもそも石原さんは自分で一から新しい発想をできるような人じゃない。石原都政下で動き出したように見える施策の多くは、もともと都が進めようとしていたものばかりだ」
 
しかし、銀行税にせよ、ディーゼル車規制にせよ、世論を味方につけた石原の突破力があってこそ実現した、との声は多い。また、都庁内外では、時に国とも対決するという前向きな自立意識を都庁に広げたことへの評価もある。そして確かに、2期8年に及んだ石原都政の初期に打ち出された「東京発の施策」が日本中に大きな波紋を広げたのは間違いない。
 
銀行税をめぐっては、条例の無効確認などを求めて提訴した銀行側に一審、二審とも敗北したとはいえ、全国の自治体で課税自主権論議を活発化させ、国が外形標準課税を導入する誘い水となった。ディーゼル車規制も、東京の取り組みが03年10月に埼玉や千葉、神奈川も含む首都圏にまで拡大しての走行規制実施につながった。

法定外目的税として、一泊1万円以上のホテル宿泊者に100~200円を課税する「ホテル税」では、鳥取県知事の片山善博から「都民以外から税を取る『他人のふんどし』」と批判されるなど賛否はあったが、やはり1期目の01年12月に成立させた。
 
他の主な公約である米軍横田基地の軍民共用化やカジノ構想などではめざましい進展があったとは言い難いが、「東京から日本を変える」と掲げた石原のスローガンは、都政1期目の初期に関する限りは「成果」をもたらした面があったようにも見える。
 
だが、都知事・石原を間近で見てきた都庁幹部たちの評価は厳しい。