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政治政策

加藤紘一が10年も前に予見していた「日本会議の危うさ」

歴史を見通す確かな眼力

親友・山崎拓の弔辞

2016年9月15日、東京・青山葬儀所で営まれた加藤紘一の葬儀(自民党と加藤家の合同葬)で、彼の親友だった元自民党副総裁の山崎拓はこんな弔辞を述べている。

「二年前、君がミャンマーに旅発つ直前に天ぷらそばを食べましたね。そのとき、僕はずっと懐疑的に思っていたことを思い切ってききました。

それは『君は本当に憲法9条改正に反対か』という問いでした。君は『うん』と答えました。『一言一句もか』と、またききました。『そうだよ。9条が日本の平和を守っているんだよ』と断言しました。

振り返ってみると、これは君の僕に対する遺言でした。まさに日本の政界最強最高のリベラルがこの世を去ったという思いです」(「産経ニュース」より)

これより10年遡る2006年8月15日、小泉純一郎首相が靖国神社に参拝した。加藤はその前月発売の『文藝春秋』8月号の対談で小泉の靖国参拝を批判した。そのため、同じ8月15日、東京・新宿に本拠を置く右翼団体の幹部に山形県鶴岡市の自宅を焼き討ちされた。

近未来を予見する手紙

加藤紘一の著書『テロルの真犯人』はその直後、テロの記憶が生々しい時に書かれた手記である。

一読して驚くのは、あれから10年たつのに加藤の言葉が少しも古びていないことだ。いや、それどころか、より鮮烈さを増している。彼の10年前の見通しがことごとく当たっているせいだろうか。まるで近未来を予見するために書かれた手紙を読んでいるような気がした。

加藤紘一はすでに10年前、日本のいまの危うさを見通していたーー。

第一章で加藤は、テロ事件の元凶は小泉前首相ではないかという見方を否定し、「なにか、もっと大きなうねりが、いま起きていると感じるのだ。そのうねりが、小泉氏のような政治家を、首相に押し上げた。/時代の空気が、靖国参拝を是とする首相を選んだ。/時代の空気が、テロで言論を封殺しようという卑劣な犯行を招いた」と書いている。

この前後、日本では排外的ナショナリズムの昂揚を示す出来事が相次いだ。『嫌韓流』がベストセラーになったのは前年の2005年。

07年には「在日特権を許さない市民の会」が発足しヘイトスピーチをまき散らすようになる。が、何より特記すべきは、「日本会議」などの改憲勢力が待ちに待った本格右派の安倍晋三政権が06年9月に発足したことだろう。

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「日本会議」の伸張

日本会議の前身は1974年、臨済宗円覚寺貫主・朝比奈宗源の呼びかけで結成された「日本を守る会」だ。

この会には、生長の家の創始者で皇国イデオロギーの鼓吹者である谷口雅春のほか神道、仏教、キリスト教など宗教団体の最高指導者や文化人らが集まった。

「守る会」は1977年夏、元号法制化を求める国民運動をはじめる。そのとき会の事務局に加わったのが、日本青年協議会(生長の家の学生OB組織)の書記長だった椛島有三(今の日本会議の事務総長)だ。椛島は天性のオルガナイザーで、大衆運動の戦略・戦術に長け、彼の一声で動き出す若者が全国各地に大勢いたという。

椛島らの元号法制化運動は大成功をおさめ、運動開始からわずか2年後の1979年6月に元号法が制定された。以来、右派運動の主流は街宣から大衆運動へと変わる。右翼研究で名高い堀幸雄の言う「制服を着た右翼」から「背広を着た右翼」への転換である。

また、この運動の盛り上がりを受けて1981年、宗教界、財界、政界、学界などの代表者約800人を集めた「日本を守る国民会議」(宗教人・文化人のみで作る「守る会」と事務局は同じ)が結成された。

この「国民会議」と「守る会」が合併して日本最大の右派団体・日本会議が誕生するのは、16年後の97年のことである。