Photo by GettyImages
エンタメ 週刊現代 日本

市川團十郎という「業」〜海老蔵も受け継ぐであろう”運命”

芸とスキャンダルに彩られて……

歌舞伎界の名門中の名門、市川家。だが、江戸時代から350年続く名家の陰には「非業の最期」を遂げた者も少なくなかった。映画監督の篠田正浩氏、歌舞伎エッセイストの関容子氏、歌舞伎評論家であり歌舞伎学会運営委員も務める犬丸治氏が、歴代市川團十郎の生涯を辿る。

市川團十郎/江戸時代から約350年、12代にわたって続く歌舞伎の家元。歌舞伎役者の名跡の中でも最高位と見なされている。屋号は成田屋。定紋は三升。新之助、海老蔵、團十郎と襲名するのが通例だが、團十郎から海老蔵になることもあった

舞台上で刺殺された初代

犬丸 歌舞伎、梨園の中でもやはり「市川家」というものは特別です。中村家、尾上家など数多くの家がありますが、「宗家」と呼ばれるのは市川家だけですからね。團十郎を語ること自体、歌舞伎史を語ることでもあるんです。

 新之助から海老蔵になり、そして團十郎の名前を継ぐということは、常人では考えられないほどの重圧だと思います。團十郎は、歌舞伎の世界で「神」のような存在ですからね。

 

ただ華やかな存在の陰には様々な不幸もあって、十二代目市川團十郎さんは、ご子息の海老蔵襲名披露興行が始まったばかりの頃に白血病で倒れられた。それから長い闘病生活が続き、9年間生き延びられましたが、まだお若い66歳で亡くなってしまわれた。歌舞伎界にとって、これは大きな損失だったと思います。

篠田 やがては息子の海老蔵さんが十三代目を継ぐことになると思いますが、振り返ると市川團十郎の歴史は非常に奥が深い。初代團十郎が生まれたのは、万治3年(1660年)江戸時代初期で幼名は海老蔵。

その初代團十郎は、なんと舞台の上で刺殺されているんですよね(享年45)。市川家が特別な存在になったのは、この初代の死に尽きるかもしれない。

 刺したのは生島半六という共演者でした。理由は明らかになっていませんが、芸事の世界にありがちな恨みや嫉妬もあったのかもしれません。

photo by gettyimages

篠田 元々歌舞伎というものは出雲阿国が始祖。その後、「野郎歌舞伎」が京都で流行し、それを見た初代團十郎が、武士や鬼神などの荒々しさを誇張した「荒事」と呼ばれる歌舞伎を生み出した。つまり市川家は、江戸歌舞伎の創始者とも言える。

犬丸 初代の父は「菰の十蔵」「面疵の重蔵」と呼ばれ、侠客と言いますか所謂「傾き者」でした。そのDNAが初代團十郎の荒事に受け継がれている。今の海老蔵も『助六』なんかを見ると、華やかさの中にスッと「無頼な感じ」が走る。これは市川家のDNAだと思います。

篠田 いまの海老蔵が六本木で暴力事件を起こしたことがあったけど、あの時「荒事の家の血だ」と思ったものです。