『沈黙』のキリシタンは、結局なにを拝んでいたのか?

彼らが隠れて信仰を続けたワケ
畑中 章宏 プロフィール
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日本人の信仰の「縮図」

潜伏キリシタンは、なぜ隠れて信仰を続ける必要があったのか。

その理由としては、先祖代々の伝統形態を継承を非常に重んじたこと、受け継いできた習慣を放棄すると罰を受けるという恐れがあると信じたことなどが考えられるという。

そうして、交通の便が悪い海辺や離島という集落の立地条件、閉ざされた共同体で、先人が信仰を命がけで守ってきたことに対する崇敬心などが入り混じり、日本の固有信仰、民間信仰、新旧の外来信仰が並存し、変化しながらも、大切に伝承されてきたのである。

〔PHOTO〕iStock

これまで、潜伏キリシタンやカクレキリシタンの信仰については、カトリック本来の信仰を誤解し、歪めたものだといわれ、神道や仏教と混じることで変容した特異性ばかりが強調されてきた。このため、カトリックの教義や典礼との相違に目を向け、独自性を認めつつも、特殊で異様なものとして扱われてきたのである。

しかし、『沈黙-サイレンス-』の背景にある、呪物崇拝と偶像崇拝、呪術的祭祀や先祖信仰は、日本人の多様な信仰様態の縮図といえるものであり、その心のありようはキリシタン以外の人々にも共通するものなのだ。

宗教の持つ意味が問い直されている今日、世界宗教と土着信仰の相剋を描いた作品としてはもちろん、21世紀を生きる私たちと相通じる 、キリシタンの複層的な信仰観念を念頭に置きながら、『沈黙-サイレンス-』を観ることをお薦めしたい。

畑中章宏(はたなか・あきひろ)
大阪府大阪市生まれ。作家、民俗学者。著書に『災害と妖怪』『津波と観音』 (以上、亜紀書房)、『柳田国男と今和次郎』『『日本残酷物語』を読む』(以上、平凡社新書)、『先祖と日本人』(日本評論社)、『』(晶文社)などがある。「WIRED.jp」で「21世紀の民俗学」を連載中。
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