野球

沢村賞の表彰式に沢村栄治の遺族が決して出席しない理由

巨人軍との遺恨、雪解けなるか!?

プロ野球のピッチャーにとって最高の栄誉である「沢村賞」にその名をとどめる伝説の大投手・故沢村栄治さん。生誕100年(2月1日)を記念して出身地の伊勢市で行われる巨人―北海道日本ハムのオープン戦で、巨人の全選手が永久欠番「14」を着てユニホームでプレーすることが決まりました。

野球に詳しい方以外はご存知ないかもしれませんが「沢村賞」は最多勝やホームラン王など連盟が表彰する、いわゆる公式の賞ではありません。1947年に読売新聞社が制定した賞で、プロ野球では特別賞の位置付けです。

個人の名前を冠した賞である以上、表彰式にはご遺族が出席するのが当然です。しかし、これまでご遺族が出席したことはありません。

その理由はというと、巨人軍と沢村家の間でぎくしゃくした関係が続いていたからです。

戦局が悪化した1943年オフ、解散寸前の巨人軍では契約書の送付も滞りがちで、年が明けても沢村さんの元に書類は届きませんでした。業を煮やした沢村さんは翌年2月、銀座にあった球団事務所に専務取締役の市岡忠男さんを訪ねたそうです。

そこで市岡さんが無造作に差し出した選手名簿に沢村さんの名前はありませんでした。

 

オレは巨人を嫌いになった

その時の経緯を以前、ひとり娘の美緒さんから聞きました。

「父は人の悪口を一切口にしない人だったと聞いています。しかし、二、三人だけ“許せない”と思った人がいたようです。そのひとりが市岡さん。

何でも(解雇の時の)対応がひどかったとか。契約更改の通知が来なかったので球団事務所に行き、やはり納得がいかないので自宅を訪ねると“上がれ”とも言われず、門前払いされたそうです。

さすがに、この時は怒り心頭で、“オレは巨人を嫌いになった”と言ったそうです。母には“野球を辞めても、ちゃんと食わしてやる”と随分、格好のいいことを言ったようです」

もっともこの一事をもって巨人の対応を批判するのは早計です。球団からすれば、あくまでも契約は契約、と割り切った結果であり、契約を巡ってのトラブルは今に至るも珍しくありません。

ただし、沢村さんは今でいうレジェンドです。巨人の草創期を支えた大功労者です。彼がいなければ巨人は、そしてプロ野球が今のような発展をとげていたかどうか……。それを考えると、もう少し誠意のこもった対応が必要だったと言えるでしょう。

読売の関係者に聞くと、長い時間をかけて巨人と沢村家の関係も徐々に改善に向かいつつあるようです。恩讐を越える日もそう遠くはなさそうです。