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ライフ
穂村弘「母が生きていたら書けなかったことを書いた」最新エッセイ
生と死が僕に与えた影響

「クモノス」に泣いたあの日

野良猫を尊敬した日』に収録した文章のほとんどは、北海道新聞に連載(現在も継続中)されたものだ。発表する媒体のことは特に意識していないつもりだけど、まとめて読み返してみると、なんとなく傾向があるように感じる。

この本には、家族の話とか子供の頃の話がよく出てくる。その理由の一つには、両親も私も北海道生まれということがあると思う。といっても、私自身は2歳の時に神奈川県に引っ越してしまったから記憶はない。そして、生まれ故郷に戻ってくる鮭ではないが、高校卒業後に北海道大学に進学した。

でも、1年半ほどで退学してしまった。つまり、相模原や名古屋や草加や東京の方がずっと長く住んでいる。にも拘わらず、心のどこかに北海道イコール家族と自分の原点というイメージがあるらしいのだ。

もう一つの理由としては、連載開始の数年前に母が亡くなったことが大きいと思う。誰かが生きていたら、書けないことがある。母について云えば、例えば、クモノスの話。

子供の頃、クモノスというおもちゃが流行ったことがあった。紙の塊の端っこをつまんだまま投げると、ぱあっとカラフルな網状に開く、というものだ。でも、小心な私は、もったいなくてそれを投げることができなかった。投げないと遊べない。持っているだけでは意味がない。でも、投げたら一瞬で終わってしまう。でもでも、持っていることを自慢はしたくて友人たちに見せたところ、気軽にどんどん投げられてしまったのだ。

 

私は心のなかで絶叫。でも、何故か「やめて」という言葉を口から出すことができない。がくがくと震えながらみているうちにクモノスたちはカラフルなゴミに変わってしまった。私はひとつも投げていない。

「じゃ、また明日なー」と去っていった彼らには悪気は全くない。そのことが一層悲しかった。

夜、蒲団のなかで目を閉じると、目蓋の裏にクモノスが浮かぶ。ぱあっ、ぱあっ、ぱあっ。うっうっうっと声を殺して泣いていたら、母親に「どうしたの?」と訊かれた。

「みんなが、みんなが、僕のクモノスをやっちゃったんだ」

母はちょっと考えてから云った。

「明日、あだちや(近所のおもちゃ屋)に買いに行こうね」

翌日、私は約束通り新しいクモノスを買ってもらった。嬉しかったけど、なんだか恥ずかしかった。野良猫を尊敬した日』より

母がいたら、こんなことはとても書けない。あの時、買ってもらったクモノスはどうしただろう。やはり投げた記憶はない。

怖い人はもういなくなった

たった一人の読者がいなくなったために書くものが変わる、という現象は、より文学的な次元でも起こるらしい。例えば、三島由紀夫が亡くなってから、野坂昭如ら何人かの作家の文章から覇気というか緊張感が失われた、という意見を目にしたことがある。

私の知る短歌の世界でも、2005年に塚本邦雄が亡くなってから、共同体の雰囲気が変わったと思う。塚本さんが生きていても、これは書かれただろうか、と思う文章を目にすることが増えた。

自分自身の中にも、本当に怖い人はもういなくなった、という感覚がある。それが無意識のうちに、書くものに影響を与えているのではないか。

また別の話になるが、当事の関係者がまだ生きているから、という理由で作家の自伝的な本から重要なエピソードを削られたりすると、つい、たった一人のために惜しいなあ、と思ってしまう。なんならその相手用に1冊だけ内容の異なる本を特別に刷って、送ったらいいんじゃないか、と考えたこともある。

でも、この場合は、たぶん、そういうことでもないのだろう。現実の生死とはまた別に、究極的には書き手の心の中に、その一人の読者が生きているかどうかが問題なのだ。

読書人の雑誌「本」2017年2月号より