「働き方」は「生き方」である

実際の作者は不明なようだが、「福沢諭吉の心訓七則」と呼ばれてきた古い人生訓がある。

第一則は「世の中で一番楽しく立派な事は一生涯を貫く仕事を持つという事です」で始まり、第三則には「世の中で一番さびしい事はする仕事のない事です」とある。七つの教訓のうちの実に二つが仕事に関するものになっている。

実際、我々にとって、まさに働くことは生きることだ。「働かざるもの食うべからず」という新約聖書からの引用で広く使われるようになった言い回しもある。

「働き方」は「生き方」なのだ。

まじめでストイックな日本人の労働観には、「額に汗水垂らしてこつこつと働くことこそ尊いことだ」と捉える傾向がある。

最近は知らないが、昔の小学校の校庭には、薪を背負って歩きながら本を読む二宮尊徳の像がよく飾られていたものだ。まさに「勤勉、勤労、献身、奉公」などを尊ぶ姿勢を象徴するものであったと思う。

「こつこつ」「まじめに」は重要だが…

しかし、時は移り、人々の生活習慣や労働環境は激変した。単にまじめにこつこつ、滅私奉公的、献身的に頑張って働いても、それが必ずしも報いられる世の中ではなくなっている。

それどころか、自分を犠牲にし、組織やトップの都合を優先してまじめに頑張ったつもりでも、気が付いたら会社が倒産したり、不正の片棒を担がされたり、さらには追い詰められて鬱病になったり、リストラされたり、自ら命を絶つようになったりと、ただ一生懸命まじめに働くだけでは人生を台無しにするようなことにもなりかねない。

いつの時代でも同じことだが、どのような基本姿勢で生きるか、がその人の人生を決める。

「なにごとも自己責任で生きる」と言えばあたりまえのことのようであるが、果たして、自分の人生をすべて自己責任で生きていると言い切れる人はどのくらいいるのだろうか。うまくいかないことがあれば、上司が悪い、職場が悪い、会社が悪い、政府が悪い、世間が悪い、と言っているだけでは何も解決しない。

つまるところ、今の会社や仕事を選んだのも自分、今の働き方を選んだのも自分、と考えるようにすれば、結局すべてのことは自分自身が日頃何を考え、どんな行動をしているか、ということの帰結にすぎない。

こつこつとまじめに働くことは尊重されるべきことだが、もしも思考停止して行動もせず、日々愚痴りながら惰性や受け身で仕事をするスタイルが習性になってしまっていたら要注意だ。

「個」の時代、受身スタイルから脱却せよ

今はまさに「Wisdom of Crowds(群衆の叡智)」の時代だ。インターネットやSNSの人類への最大の貢献は、「個」をさまざまな制約から解放し、「個」の力を格段に増幅したことだ。

信念や行動力のある人にとっては、自分が理不尽と思うことに我慢して従ったり、マジョリティに嫌々同調したりせずとも、もっと自由に生きる新たな手段や選択肢が豊富に与えられた非常に恵まれた時代といえる。

会社等の組織は「個」に犠牲を強いるのではなく、働く社員一人ひとりそれぞれの「個」の才能、価値観、倫理観、生活都合などを最大限に尊重した働き方の多様性を認めていかねばならない。

一方で、働く「個」も、意識改革や行動変革に目覚めて、受け身型のスタイルや依存体質から脱却する必要があるだろう。