映画『この世界の片隅に』公式サイトより
文学

『この世界の片隅に』の監督が選ぶ「時の流れ」を感じる10の小説

映画製作中に読んでいた作品は?

気持ちに触れ、寄り添う物語

お陰さまで映画『この世界の片隅に』はロングランを続けています。今回は、この映画のテーマである「時の流れ」を感じる10冊を選びました。

1位の『ブラックアウト』は続編の『オール・クリア』と併せて映画の製作中に読んでいました。『この世界の片隅に』に最も密に繋がる作品で、2060年のオックスフォード大学に通う3人の学生が、第二次大戦中のロンドンを研究するため、タイムトラベルをするという内容のSF小説です。

タイムマシンがある世界なのですが、時代を渡航する際には何も持ち運べず、頼りになるのは知識だけ。時をかける「航時史学生」である主人公たちは、知識を詰め込んでから過去に行きますが、そこでトラブルが起きて、現代に帰って来られなくなる。

最初は「いつどこに爆弾が落ちる」などの暗記していた知識で無事に暮らしていたものの、時が経つにつれさらなる危険に巻き込まれていくというストーリーです。

『この世界の片隅に』は、1940年前後の広島・呉を生きる、すずという女性を描いた作品。製作中は当時の呉がどんな場所だったか、徹底的に調べました。「地図を見なくても、当時の土地を歩ける」と思えるほどになって、まるで航時史学生だなと感じました(笑)。

 

本書では、航時史学生の女性が戦時中の百貨店で働こうとします。当時の百貨店職員が着ていた服装の知識が彼女にはあるため、その職場にそぐわない紺色のスカートしか持っていないことから、叱られるかも、と困ってしまう。

知識だけでなく生身の悩みを抱えているから、作品に触れる人にとってもその世界が「自分たちが存在する世界と同じなんだ」と身近に感じてもらえるんですよね。

愛に時間を』は人類が宇宙に散らばった遥か未来を描く小説です。その世界にはとてつもなく長寿の人間たちがいて、なかでも最長老である主人公は、死が許されない存在。彼は「死ねないのならば、数千年前に戻って母親に会わせてくれ」と願います。

そうして最長老は時代を遡った第一次世界大戦中のアメリカで、母親に恋をしたり、志願兵になるかで悩んだりする。大学生の頃に読んで、人の懐かしむ気持ちの強さを感じたのを覚えています。

『枕草子』に隠れた意味とは

6位には『こわれた腕環』を挙げました。本書の世界では、巫女が生まれ変わりながら代々続いている――と信じられているのですが、実際は、その時々に連れられて来た女性が巫女の名前を与えられているだけ。そんな巫女が魔法使いのゲドに出会い、本来の自分を思い出すというアイデンティティをテーマにした物語です。

『この世界の片隅に』でも、すずが嫁ぎ先で何も分からないまま、苗字も住むところも変わったなかで、戦争を通じて自己を築いていく。アイデンティティの模索という点で『こわれた腕環』と共通のテーマがあります。

すずには、自分の存在を確かなものと言えるのか、言えるとすればその根拠は何なのかという問題意識がある。絵が得意で、本来は創作者になる資質を持っているのに、普通の家庭人としての人生を選ぶ。しかし、戦争によって創作者として表現することも、普通に生活することもできなくなってしまう。

すずは普段はぼーっとしているようで、絵を描くことにより無自覚に自分の中にある何かを引き出していました。その行為ができなくなり、今まで絵に描いて表出していたことを自分の口で語らないといけなくなる。そうして、すずは変わっていくんです。

7位の『枕草子』は優れた随筆と言われているのですが、僕は少し違った見方を持っています。『枕草子』には、物事の美しさや価値観を描いている箇所もあれば、「牛車を卯木の花で飾りましょう」とか、自分たちがいかに楽しいことをやったかを延々と描いているところもある。

清少納言は中宮定子の中宮職の女房。定子は藤原道隆の娘で、道隆の死後、弟の藤原道長が権力を握ると、自分の娘を后にしたい道長に定子は迫害され、屈辱を与えられました。しかし、一定帝は、最後まで彼女への愛を忘れなかった。

『枕草子』は定子の苦痛の時代を通り過ぎて書かれています。けれど、清少納言は「それでも誇りを失わないぞ」と中宮はこんなに素晴らしい暮らしをしていたと描いている。非業の目についてはほとんど触れず、ひたすら楽しくて生き生きしていた日々しか書いていない。

そんな隠れた意味を知った時に『枕草子』は人の「魂の記録」になる。構造がわかった時に、全く違う読み方ができることが、作品の面白さの一つなんだと思います。

(構成/伊藤達也)

▼最近の一冊

「映画の製作中、いつも枕元に置いていた漫画。異常なほど長寿な人間がいる社会で、厚労省の係官がその対応をしている。平安朝でも役人だった人がいたり、戦争で不死身の兵士として利用されたり。終わらせ方が楽しみ」