野球
大下剛史に聞く(3)芸者衆向けのノックの一番手に僕は指名された
東映・水原茂監督との逸話
二宮 清純 プロフィール

それで僕もだんだん腹が立ってきて、オヤジにバッとボールを投げ返してやった。そしたら、オヤジの顔色が変わったね。“アレッ!?”という顔付きになった。

二宮 水原さんは、「コイツ、なかなか根性あるな」と思ったんでしょうか?

大下 そこまで思ったかどうかはわからんけど、僕に興味を持ったことは確かやろうね。だから、人間、何が幸いするかわからんのよ。伊東キャンプでの、この一件がなかったら、僕は使ってもらえんかったやろうし、プロで12年やることもなかったやろうね。

 

中日に誘われたが、しかし…

二宮 守備には学生時代から自信があったんでしょうか?

大下 自信があるといっても、プロでやったわけではない。プロで実際にやってみて、ある程度、結果を出さなければ、本当の自信なんて得られませんよ。

僕が水原のオヤジに使ってもらうようになったきっかけは高松でのオープン戦。オヤジの地元ということで組まれた試合やった。僕はベンチスタートやった。何回か忘れたけど無死一、二塁の場面で、いきなりオヤジから「おい、チビ。ショート行け!」と言われた。こっちは何の準備もしていない。

いきなり三遊間に打球が飛んできた。それをダイビングキャッチして内野安打で止めた。これで無死満塁。次のバッターはショートゴロ。これを捕って64―3のゲッツー。それを見たオヤジは“こいつは使える”と思ったんじゃないかな。

二宮 1年目の成績は133試合に出場して、打率2割6分9厘、盗塁28。非力といわれた大下さんですがホームランも5本放ち、45打点を記録しています。ベストナインにも輝きました。

大下 先にも言ったように、当時の東映の内野はザルだったから、余計に僕が目立ったんじゃないの。それもこれも水原のオヤジのおかげですよ。

二宮 ただ、その水原さん、その年にチームを去り、1969年から中日の指揮を執ることになります。

大下 これはびっくりしたね。オヤジには愛知県豊田市に有力な後援会があった。その後援会が中日の監督にと推薦したらしい。

実はオヤジに「オマエも一緒に中日に来い」と言われたんです。しかし、いくら何でもプロに入って2年目の選手を出すわけがない。結局、東映では広島に移籍するまで8年間プレーしたのかな。

二宮 ショートからセカンドに転向したきっかけは?

大下 69年に亜細亜大学から大橋穣が入ってきた。こいつのショートの守備は天下一品やったね。派手さはないけど、グラブ捌きが堅実、肩も強かった。僕が二塁にコンバートをされ、二遊間コンビを組むようになってから、ボールを捕ってからのプレーも速くなったね。僕のプレーを盗んだんじゃないかな(笑)。それは冗談として、お互いに刺激し合ったものですよ。

二宮 大下さんといえば隠し玉の名手。印象に残るシーンは?

大下 あれは榎本喜八さん(ロッテー西鉄)をアウトにした時かな。セカンドランナーの榎本さんは、全くボールを見ていない。

それで榎本さんにゆっくり近付いていって、“ホレ”とタッチすると「どうした大下?」とか言って全然、気付いていない。やっとアウトになったのがわかって“オォー”っとびっくりしていましたよ。あの人のことだからバッティングのことばかり考えていたんじゃろうね。

(第4回はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/51029

読書人「本」2017年1月号より