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「教育勅語」復活論者は、単に歴史の無知をさらしているだけ
ナンセンスな主張が繰り返される理由
辻田 真佐憲 プロフィール

解釈、追加、修正、補完…

ただ、前述したように、こうした控えめな内容は、日本が帝国主義列強として成長するにつれ問題視されるにいたった。

「教育勅語」には、国際交流や産業振興に関してかならずしも十分な言及がない。「一等国」の国民としてこれらは欠かせない徳目だ。そこで、1898年第三次伊藤博文内閣の文部大臣に就任した西園寺公望は、明治天皇の内諾を得て、「第二の教育勅語」の起草に着手した。

今日に残されたその草案には、「大国寛容の気象」を発揮して、「藹然社交の徳義を進め、欣然各自の業務を励み」、また女子教育を盛んにするべきなどとある。悪くない内容だったが、結局、西園寺の病気と辞職で頓挫してしまった。

また1919年、『勅語衍義』の執筆者・井上哲次郎によって「教育勅語に修正を加へよ」という論考が発表された。

「教育勅語」は植民地を獲得する前に書かれたので、異民族の教育方針にはなりにくい。そこで「今上陛下が有個所を修正せられて、新付の民族に賜はる様にすればよくはないか」というのである。この提言の背景には、同年に朝鮮で起きた三・一独立運動の衝撃があった。

しかし、こうした「教育勅語」の改訂・修正案などは、さまざまな理由でうまくいかなかった。

そのひとつに「不敬」問題があった。「教育勅語」はその発布以後、小学校の祝祭日の儀式などで校長によって「捧読」され、神聖不可侵な存在となっていった。そのため、年々その改訂・修正などがむずかしくなったのである。

結果的に、「教育勅語」の不足分は、ほかの詔勅の発布で補うかたちが取られた。1908年発布の「戊申詔書」、1939年発布の「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがそれにあたる。

1948年6月の衆参両院の決議では、「教育勅語等」として「教育勅語」だけではなく「軍人勅諭」「戊申詔書」「青少年学徒ニ賜ハリタル勅語」などがセットで排除および失効確認されている。これらの詔勅が一体的に理解されていた証左だ。

このように「教育勅語」の歴史は、解釈、追加、修正、補完などで覆われていた。「教育勅語」はつねに動揺していたのである。これが偽らざるこの文書の姿であった。

 

復活論はナンセンス

敗戦後、GHQ内で新しい「教育勅語」を発布させる動きもあったが、ここでは割愛する。いずれにせよ、主権在民を原則とする「日本国憲法」のもとで「教育勅語」が廃止された。当然というべきである。

「教育勅語」は、狂信的な神国思想の権化ではないが、普遍的に通用する内容でもなく、およそ完全無欠とはいえない、一個の歴史的な文書にすぎない。その限界は、戦前においてすでに認識されていた。

ましてかつてなく社会が複雑化し、価値観が多様化した現在、部分的に評価できるところがあるからといって、「教育勅語」全体をそのまま公的に復活させようなどという主張はまったくのナンセンスである。

「教育勅語」の内容と歴史を知れば知るほど、そう結論づけざるをえない。

復活論者は、「『教育勅語』再評価=戦後民主主義批判=反左翼=保守」と早合点し、その内容や歴史の精査を怠り、その復活を唱えることを自己目的化してはいないか。

「教育勅語」の歴史に学ぶことがあるとすれば、それは、ある時代の教育方針を金科玉条のように墨守することではなく、むしろそれを柔軟に見直し、現実に対応していくことであろう。

「教育勅語」を個々人で愛好するのはよい。だが、公的に復活するべきかといえば、その答えは明確に否である。

本稿で扱ったテーマは、近刊『文部省の研究 「理想の日本人像」を求めた百五十年』(文春新書)でも掘り下げている。「文部省の真の姿」に迫った1冊、どうかご高覧ください。

(バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/masanoritsujita