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メディア・マスコミ
私たちはどうすれば「ポスト真実」時代を超えられるのか
リスクを冒して、不条理にあらがう

「敗北」から学ぶ教訓

この連載も今回で終わる。4年半もの長きにわたって付き合ってくださった読者諸兄に心から御礼を申し上げたい。

それから、軽妙洒脱なイラストを毎回描いてくださったYAGIさん、私の取材を手伝ってくれた担当編集者のN君にも深い感謝の気持ちを伝えたい。

振り返ってみると、この連載が始まったのは東日本大震災の翌年の夏だった。当時は原発の再稼働に反対するデモが最高潮に達していて、デモの出発地点となった日比谷公園は数万の人出で混雑していた。

公園内では若者たちがサンバのリズムで「原発いらねえ。再稼働反対」と叫びながら踊っていた。デモを知らない世代のN君が目を輝かせながら「サッカーの日本代表戦応援と同じノリですね」とつぶやいた。

その日の夕方、国会正門前に着くと、歩道から車道へデモの人波があふれ出し、皇居のお堀につづく道路全体を埋め尽くしていた。「危険ですから歩道に上がって」という警察官の制止を誰も聞かない。原発廃炉を求める人々の熱気が公権力の規制を無力化していたのである。

といっても'70年安保のように火炎瓶や石が飛び交うわけじゃない。自由でアナーキーな空間の中で、見知らぬ者同士が互いを気づかい、水やお菓子を融通し合う。むやみに警官に突っかかったりしない。そんな光景を見るうち心がじんわり温かくなった。未来に微かな希望の灯がともったような気がした。

むろん、デモで目標を達成できたわけではない。一部の原発はやがて再稼働した。その後、特定秘密保護法が制定され、安保法制も十数万人のデモが国会を包囲したのに成立した。結果だけを見るなら、この4年半は敗北の連続だった。

しかし、負け惜しみを言うようだが、本当に大事なのは勝つことではない。いかによく負けるかである。敗北の積み重ねの中からどんな教訓を学び、どれほど豊かな思想を培うことができるかによって未来は決まる。

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