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野球

【プロ野球感動読み物】元巨人・東野峻の静かなる「退場」

「5年前の開幕投手」はバッピになって

「いかに抑えるか」ではなく「いかに打たせるか」。かつての巨人のエースは、以前と180度違う「バッティングピッチャー」という仕事の難しさに思い悩んだ。腕がちぎれるまで投げ続けた男の軌跡。

天国と地獄

6月のある日、横浜スタジアム。試合前の横浜DeNAベイスターズの打撃練習中のことだった。

マウンドに立つ「背番号112」のバッティングピッチャーがボールを投げようとした瞬間、顔をしかめる。指に引っかかったボールはベースの遥か手前でワンバウンドした。

その後、何事もなかったように投げ続け、自分の出番を終えたピッチャーはマウンドを降り、迷わずトレーナールームに向かう。緊張が解けた瞬間、冷や汗の出るような激痛が走る。周囲の誰ひとりとして気がつかなかったが、このとき彼の肩は致命的なダメージを負っていた――。

この「背番号112」こそ、つい5年前、巨人の開幕投手を務めた東野峻(30歳)だった。

巨人からオリックス、DeNAと渡り歩いた東野が'15年オフに現役を引退する際には、新聞で小さな記事にはなった。

だが、いま東野が本当に「マウンドを去る」ことを、知る人は少ない。

東野は現役引退後、DeNAのバッティングピッチャーを1年間務めていた。ほんの5年前の開幕投手が、バッティングピッチャーに。

だが、東野がこの仕事を1年で終えることになったのは、「屈辱」と捉えていたからではない。むしろ、全力で務めようとして、マウンド上で文字通り「腕がちぎれて」しまったのだ。

「その瞬間、右肩から『ブチン』という音が聞こえたんです。時間を追うごとに痛みが増してきて……。チームドクターが『ああ、これは、腱が切れてるね』と。今度こそ、本当にもうダメかもしれない、と思いました」

こう語る東野の野球人生は、振り返って見れば常に、右肩の痛みとの闘いだった。

茨城県の公立高校で、甲子園とは無縁の3年間を送った東野は、'04年のドラフト会議で巨人から7位で指名を受ける。

入団2年目に早くも肩を故障。それでも、痛み止めを打ちながら、持ち前の負けん気で努力を重ねた東野は少ないチャンスをモノにし、'09年に先発ローテーションの一角にまで上り詰めた。翌'10年にはチームの勝ち頭となる13勝を挙げる。

そして'11年春のキャンプがはじまってすぐ、東野は原辰徳監督(当時)に呼び出された。

「『開幕は、お前に決めている。オープン戦でしっかり結果を残して欲しい』と。その時が野球人生で一番嬉しかった」

 

エース格の内海哲也やグライシンガーを抑えての抜擢。意気に感じた東野は、開幕勝利をモノにする。

だが、その後はなかなか勝てない日々が続いた。

「ローテーションの一番手だったので、相手は常に他チームのエースたち。能見(篤史)さんや、中日の吉見一起さん、前田健太(当時・広島)さんといった顔ぶれと投げ合うことになるので、3点取られたら、もう負けが決まってしまう」

次第に5回を投げ切れずに降板する試合が増え、負け越し。翌'12年は、1勝も挙げられないまま、オリックスへトレードに出された。