占領下、ナイトクラブ「銀座のオアシス」で踊る米兵と日本人女性〔PHOTO〕gettyimages
キリスト教 近現代史

天声人語は何様か? 敗戦後のクリスマス騒ぎに対する「苦言」

占領下のクリスマス

本来、日本人とはまったく縁もゆかりもないクリスマス。それがいつのまにかわが国では「恋人たちの夜」となった。いったいなぜ?

クリスマスと日本人の不思議な関係を解き明かす好評連載、いよいよ戦後に突入(前回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/50569 第1回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056)。

敗戦後の混乱の中で、クリスマスはいかに復活していったのか?

占領の始まり

1945年より1952年まで日本は占領下にあった。

アジアから太平洋州を巻き込んだ大規模な戦争を展開し、それに徹底的に負けてしまったため、国家主権を奪われた。日本は独立国ではなくなったのだ。

1948年のロンドンオリンピックにも参加させてもらえなかった。独立国ではなく、〝連合国が統治しているあるエリア〟でしかない。

連合国といっても実質はアメリカ統治だったのだが、とにかく、日本はこの7年間、国ではなかった。ひとかたまりのアジアのそのへんという存在だった。

きわめて屈辱的な立場である。ふつう、早く自主独立を勝ち得たいと、強くおもうはずである。

でも、政治家などはともかくとして一般人にはあまりそういう意識は強く持たれなかったようだ。おそらく、日々の生活がとても大変だったからだろう。

それに戦時中(とくに1944年から1945年)の生活記憶があまりに厳しく、自主独立を保つためにあのような日々を過ごさなければならないとすると、べつにもう自主独立じゃなくていい、という気分も強かったのだとおもう。

わたしたちは国家主権とあまり関係ない、という立場を取らざるをえなかった時代である。

こういう気分が日本のクリスマスに見事に反映されていく。

みんながどうでもいいとおもっている〝日本のクリスマス〟は、だからこそ社会の気分がきれいに反映される。王様の耳はロバの耳、とずっと聞かされていた井戸のようである。日露戦役以降、クリスマスがどう扱われていたかを見れば、その時代の空気がわかる。

世界を相手に降伏して、独立を放棄させられ、占領されていた時代、クリスマスはどんどん狂騒的になっていく。鉄板の上で煎られているかのようなクリスマス騒ぎの時代がやってくる。

 

手探りのクリスマス気分

降伏し、占領された1945年、その年の12月にはあまりクリスマスに関する報道がない。

余裕がなかった。そもそも新聞の紙面が薄く、ひまネタを載せるほどの物理的な余裕もなかった。

ただ、前年までとは違い、クリスマスの存在じたいは新聞紙面でも扱われている。

1937年に帝国ホテルが「永久に、クリスマス騒ぎを取り止めます」と宣言して以降、日本国内から、クリスマスは追放された。寛永年間と同じである。それから8年でクリスマスは戻ってきた。

降伏占領の当年は、分量はわずかであるが、しかしひさしぶりにクリスマスの文字が出てくる。

ラヂオではいくつもクリスマス関係の放送がある。また、クリスマスショーの案内が出ている。ようやっと戦争が終わった、という気分が出ている。

そういえばこの年の気分としていまに伝えられるのは「戦争が終わった」ばかりである。「降伏して占領される」ではない。おそらく何かを伝え洩れているのだとおもわれる。