格闘技

ミルコ・藤田戦を見守ったリングドクターの回顧

「ワイルドボーイズ」よ永遠に――

大晦日、『RIZIN』無差別級トーナメントは、ミルコ・クロコップ(クロアチア)の優勝で幕を閉じた。
 
準決勝ではバルト(把瑠都=エストニア)の腹部に膝蹴りを突き刺して僅か49秒KO勝ち。決勝でも、アミール・アリアックバリ(イラン)を左フックで葬った。その前の試合でフルラウンドを闘い抜いたアミールは、体力を著しく消耗。対してミルコは無傷で決勝戦を迎えるという幸運もあった。

それでも、前々日(29日)の2回戦で前年のヘビー級トーナメント王者キング・モー(米国)を倒しているのだから文句なしの優勝と言えるだろう。
 
そんなミルコが年明け早々に、現役引退を表明したとのニュースが流れた。彼もすでに42歳。体力的にも限界を感じているのだと思う。

『RIZIN』無差別級トーナメントで優勝を飾った時点を引き際と考えるのは良いと思うが、プロレスラーほどではないにせよ、格闘家の引退表明も簡単に信じられるものではない。ミルコは過去にも「引退」を口にしたことがあったが、リングに戻ってきている。時間が経てば、また「闘いたい」と思うのかもしれない。
 
さて、ミルコはこれまでに『PRIDE』『UFC』などメジャー舞台を中心に総合格闘技で49試合を闘ってきた。その中で、もっとも深く私の記憶に残っている試合は、2001年8月19日・さいたまスーパーアリーナ、『K-1』のリングでの総合格闘技デビュー戦である。相手は、それまでに『PRIDE』のリングで実績を積み、マーク・ケアー、ケン・シャムロック(ともに米国)、ギルバート・アイブル(オランダ)らを破っている藤田和之だった。
 
戦前には、「藤田優位」との声が大きかったが、この試合でミルコは、1ラウンド39秒でレフェリーストップによるTKO勝ちを収めた。藤田がタックルに入ろうとした際に、カウンターが左膝蹴りを合わせる。これがクリーンヒットし、藤田は額の左部分から大出血。コーナーでチェックを行ったドクターが試合のストップをレフェリーに指示した。この勝利を機に、それまでK-1戦士(キックボクサー)であったミルコは本格的に総合格闘技に参戦、そしてトップファイターの座を手にするに至るのである。

ミルコ×藤田戦の真相

昨年、この試合でリングドクターを務めていた中山健児氏と話をする機会があった。中山氏は格闘技全盛時のリングドクター第一人者だ。ある雑誌の取材で「ドクターストップの判断基準」について、話を聞かせてもらったのだが、この時、ミルコ×藤田戦にも触れた。

「もう15年も経ちますが、あの試合のことは、よく覚えています。チェックしながら迷いましたよ。かなり深く切れていて出血も激しかったですからストップしてもいい。でも“続けられないのか”と問われれば、続行させられないというわけでもありませんでした。どちらの判断を下しても間違いではない状態だったんです」
 
――たとえば野球の試合で、ストライクともボールともとれるベース板ギリギリの投球を打者が見逃したとしますよね。この時、アンパイアはジャッジを迷います。それと似たような状況だったのでしょうね。

「そうです。本当に迷いました。でも、そんな微妙なケースでは、アンパイアはホームチームに有利なジャッジをするんだそうです。だからあの時、私は試合をストップするように進言しました。あの一戦はミルコのホームリングであるK-1で行われていたんですよ。それに選手のカラダを守りたいという気持ちもあったと思います」
 
勝負に「たら」「れば」が禁句なことは分かっている。でも、考えてしまう。もし、あの試合が続行されていたならば、どのような結末になっていただろうか、と。
ラウンドの展開には、ミルコはまだ不慣れだった。再開後に藤田がテイクダウンに成功したなら勝敗は逆になっていたかもしれない。ならば、ミルコが総合格闘技に本格参戦することはなく、K-1の域にとどまり続けたかもしれないのだ。
 
ミルコは運も味方につける男だった。

でも、それは、人知れずクロアチアで行っていた想像を絶するハードなトレーニングに裏打ちされたものに他ならない。愛想は乏しかったけれど、妥協なき戦士であり続けた。
 
「ワイルドボーイズ」よ永遠に――。