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不正・事件・犯罪 格差・貧困
「親にはなってはいけない大人」が我が子を殺すまで
ルポ・厚木市幼児餓死白骨化事件

本日、東京高裁で二審判決

電気も水も止まった真っ暗な部屋に、齋藤理久君(5歳)は2年強にわたって閉じ込められ、鍵のかけられたドア前で必死にこう呼び続けていた。

「パパ、パパ……」
 
父親は、齋藤幸裕(38歳)。2004年の10月から、幸裕は働きながら、1人で長男の理久君を育てていた。だが、彼は少しずつ帰宅する回数が減り、2年後には3、4日に一度ないしは、1週間に一度くらいまで減っていた。その間、理久君は暗い家の中で腹を空かせて震えていたのである。

そして2007年1月、真っ暗で凍てついた部屋の中で、理久君はTシャツ一枚でうつぶせになったまま絶命したのだ。

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今日、2017年1月13日、斎藤幸裕の二審の判決が、東京高裁で下される。一審では懲役19年だった。

一審の判決が出た後、私は幸裕に心境を聞くべく、横浜拘置所で面会を行った。すると、幸裕は透明なアクリル板ごしにこう言った。

「俺は、理久を殺してません。理久を愛していたし、ちゃんと育てていました。なのに、なぜ俺だけ懲役19年なんて判決なんですか。間違ってますよ!」

この事件は、発生から七年後の2014年に発覚し、父親のネグレクト(育児放棄)事件として社会を震撼させた。情報番組も雑誌も、幸裕が子供に愛情を持てない鬼畜同然の父親であるかのような語調で報道をした。

だが、私が面会した際、幸裕はネグレクトによる殺害を否定した。自分は息子を愛していたし、世話をしていた。決して意図して殺したのではないと言い張ったのだ。

ネグレクトは一般的に、親が子供に愛情を持てないことが原因で起こるとされている。だが、幸裕同様に、ネグレクト事件を起こした親たちの中には、堂々と「愛していた」「育てていた」と主張する者は少なくない。

いったい、なぜなのか。

拙著『「鬼畜」の家~わが子を殺す親たち』(新潮社)で、私はこの事件における「ネグレクト」の意味を描いた。

虐待に関する言葉が一人歩きしがちな今、齋藤幸裕の二審の判決を前に、もう一度この事件を通して「ネグレクト」の実態を考えたい。

 

育児放棄したのは妻の方だった

1978年、齋藤幸裕は神奈川県の横浜市で生まれ、小学校に上がる年から厚木市に引っ越した。父親は大手企業の工場に勤務。3人兄弟の長男だった。

幸裕は高校を卒業した後、契約社員として働いている時に、高校2年生だった女性と付き合いはじめる。間もなく、女性は家出をして幸裕のアパートに転がり込み、高校を中退。そして18歳で幸裕と「できちゃった結婚」した。この時に誕生した長男が、事件の被害者・理久君だった。

幸裕夫婦は、それなりに理久君をかわいがっていた。妻は専業主婦で親族などはそばにおらず、日中は1人で世話をしていた。一方、幸裕はトラックの運転手をしていて会社での評価は常に「A」。生真面目なことで知られていて、早く帰って来られる日があれば理久君をお風呂に入れたり、遊びに連れて行ったりしていた。