海上自衛隊入りを打ち明けたとき、父が一瞬だけ見せた「親心」

島地勝彦×伊藤祐靖【第2回】

撮影:立木義浩

第1回【父から受け継いだエリートスパイのDNA

シマジ もう少し伊藤さんの血筋のことをお訊きしたいです。お父さんのお父さん、つまり伊藤さんのお祖父さんはどういう方だったんですか。

伊藤 それがまた、ろくな者ではないんですよ。いわゆる博打打ちだったんです。父曰く、祖父はひと晩で、いまでいえば10億円ぐらいの金額を稼いだことがあったらしいんですね。それで仕事を全部辞めて、沼袋に長屋を建てて、早稲田大学の学生を住まわせて、そこで塾を開いて学生たちに教えさせたというはなしです。

シマジ アッハッハッ。それは上手い。まるで鵜飼ですね。

伊藤 ホントに、そんな感じですね。だから仕事は全然せずに暮らしていたそうです。わたしも子供のときに面識はありましたけど、祖父は早稲田大学のロシア文学科の出で、それで特高警察に2回捕まっているそうです。

シマジ バリバリの左翼系の学生だったんですね。

伊藤 そうですね。父の妹の名前は「ねるり」というんですけど、これはドストエフスキーの有名な小説『虐げられた人びと』に出てくる少女ネリーからとったそうです。昭和3年生まれで、「ねるり」ですからね。かなり変わった家です。

シマジ お爺さんは相当ソ連にかぶれていたんですね。それにしても特高警察に2回も捕まったお祖父さんの息子さんがなぜそんなに軍人っぽいのでしょうね。相反しますよね。不思議です。

伊藤 そうなんですよ。父はもともと化学が好きで、軍人になるなんて考えたこともなかったそうです。生まれたときから早稲田の学生たちが周りにいっぱいいるものですから、いろんなことを教えられたんだと思うんですね。それで化学の道へ行きたかったんだといっていました。

父がちょうど16歳のときかな、日米開戦が勃発しました。ラジオで開戦の報せを聞いて、父は「生き方を変えて死に方を決めた」といっていましたね。国の一大事を前にして、化学の勉強をしたいなんていう自分の夢を求めている場合じゃなかったと。

シマジ そのときお父さまはお国のために生きようと決意したんですね。

伊藤 もともと自分だけの夢を追いかけるタイプではなかったと思います。ですから「駆り出された」という人の話を聞くと、なんでそんなことをいうんだろうと思ったそうです。

シマジ たしかに「駆り出された」という表現は受け身的な言い方ですよね。

伊藤 そのように父のいうこと、なすことを、わたしは子供のころからずっと聞いていて怪訝な目でみていましたけど、父の数少ないいいところは、とにかく「潔い」ことですね。

蒋介石の作戦について聞いても、「戦争は悲惨だ」とか「命令は断れなかった」とかいう人が沢山いるなかで、父は「俺は『やります』って答えた」というんです。断れないから行くのではなく、自分で決めたから行く、ということずっといっていました。わたしも子供ながらに「この人はほかの人とはちがうな」と思いました。

シマジ その潔いお父さんの遺伝子は伊藤さんにも相当入っていますね。伊藤さんの本を読んだわたしのバーの常連たちもみんな、同時代に生きる日本人で伊藤さんのような潔い方がいるということに驚いていましたよ。

伊藤 父はまだ生きていますから。

シマジ もっと詳しく聞いて、お父さんのことを本に纏めたら面白いと思いますね。

伊藤 はい。もう全部聞いています。

シマジ きっと面白い本になりますよ。ぜひ読んでみたいです。

伊藤 子供のときの話がどこまで書けるかはわからないけど、本当に面白いですよ。