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ライフ
三浦瑠麗さんが選んだ「現実社会につかれたら読みたい小説10冊」
時には小説世界に逃げ込んで

逆説のファンタジー

国際政治学者の三浦瑠麗さんが〈逃亡の幻想に浸る本〉というテーマで10冊を選びました。

子供の頃、図書館にこもって読んでいたのが『ナルニア国物語』です。学校での嫌なことを全部忘れて、まさに逃亡して。ルーシィという女の子が古い屋敷のワードローブに入ると、魔法の国へつながっていた、という冒頭から引き込まれます。この物語は「母親の不在」がモチーフの一つになっていて、母親に対する恋しさを掻き立てられるところも好きですね。

ナルニア国で待ち受けているのは、厳しい戦いです。つまり逃亡の先は決して夢の国ではなく、また別の形で人生の過酷な現実を突きつけられることになる。そこで子供たちは鍛えられ、知恵をつけていくわけで、逃亡願望や魔法願望を刺激しながらも、これは「現実」を生きるための物語なんです。現実逃避したい大人にお勧めしたいですね。

ダロウェイ夫人』は、ダロウェイ夫人のたった一日を描いた小説ですが、バージニア・ウルフの中では抜群に読みやすい作品です。

最初、なぜダロウェイ夫人がこれほど追い詰められているか、わからないんですが、次第に彼女の個性が明らかになって、彼女の焦燥感を読者が共有するに至ったとき、ひとつの事件が起きます。

女性の行き詰まりやすさと、本能的に生きようとする生命力の両極が見事に表されている小説だと思います。

凄いと思うのは、女性であるウルフが、同じ女性であるダロウェイ夫人を行き詰まらせていくこと。これ、男性作家にはけっこうあることなんです。

女性のコケティッシュな可愛らしさと、軽はずみなところを冷酷に描く男性作家は多くて、たとえば18世紀のフランスなどでは男を惑わす貴族の女性の書簡風小説が流行りました。

一方、女性は女性を嫌悪しないので自己投影をして私小説風になりがちですが、ウルフは違う。自分を完璧にメタ認知できる人でした。

自己をも冷徹に見つめる書き手の日本版は、岡本かの子だと私は思っています。『老妓抄』は、生きて老いて死にゆく恐怖の前で立ち止まっている人間の悲しみと可笑しみを、凝固したような短編。収められている短編すべてを、かの子は徹底的に突き放して書いています。と同時に、外連味がある。これはかの子の類稀なる観察眼のゆえでしょう。

彼女は経験主義的に物を見る、リアリストだったと思います。性別は連続的なものですから必ずしも2パターンではないのですが、知性の在り方でいうと女性の書き手には経験主義的なリアリストが多く、男性には観念的なロマンチストも多いのではないか、と私は感じています。

読書の効用は神経の調和

かの子やウルフが、人間を突き放し、極度に客観視して書く作家だとしたら、そこに「支配してやろう」という欲望が加わるのが三島由紀夫です。どうしてこんなに好きなのだろうと自分でも不思議なくらい、私は三島の作品が全部好きです。

豊饒の海』シリーズは輪廻転生の物語で、登場人物すべてを輪廻転生の箱の中に放り込み、あらがえない状態にして、人の長所や短所を誇張したり抉り出したりしながら魅力たっぷりに描いていく。

物語世界において三島はいわば全能の創造主たろうとし、成功しているわけですが、一方で彼は、人間世界に対しても偏執狂的な愛着と畏れを抱いていた人でもありました―これは私の偏見ですけど(笑)。

『豊饒の海』は、そんな幸福でない三島だからこそ書けた、限りなく美しい小説ではないでしょうか。