2016年11月、速やかなEU離脱を求める人々。ロンドン〔PHOTO〕gettyimages
EU イギリス
【ゼロからわかる】イギリス国民はなぜ「EU離脱」を決めたのか
露わになるグローバル化の「歪み」

2017年、欧州連合(EU)は英国との離脱交渉という未知の領域に踏み込む。戦後脈々と続いてきた欧州統合プロジェクトの一大転換点である。

メイ英政権は3月末までにEUに離脱を通告すると表明しており、英国内の手続きが順調に進めば、両者は2年を目処に交渉に入る。

交渉開始を前に、英国がEU離脱の道を選択した事情を、主権国家を取り巻く国際潮流の激変などの文脈で振り返りたい。

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英国は2016年6月23日に行った国民投票で欧州連合(EU)からの離脱を決めた。投票結果は、離脱支持51・89%、残留支持48・11%という僅差だった。

オバマ米大統領ら各国の指導者が残留を求め、国際通貨基金(IMF)や世界銀行が離脱した場合の多大な経済的損失を警告する中での英国民の選択だった。

そして、その選択に国際社会は衝撃を受け、最大級の驚きを示した。世界の目には、英国のEU離脱は政治的、経済的合理性を無視した「崖から飛び降りる行為」に映ったようである。

残留=正解、離脱=誤り。国際社会の反応はこうした評価の表出であろうが、果たしてそう言い切れるのだろうか。

筆者には、英国のEU離脱は21世紀初頭の国家統治と国際秩序、グローバリゼーションの「歪み」を反映した結果にほかならないように思える。

市場が政治を動かし、短期的な経済的利益の観点から価値判断がなされる傾向が強まる中で、英国民はより本質的な政治決断をしたのではないかということだ。

 

国民投票への経緯

現在の国際秩序は、政治・安全保障面では米同時多発テロ(2001年)とその後の米国主導の対テロ戦争、経済的には米国発のリーマン・ショック(2008年)が震源となり大きく流動化している。英国の国民投票への動きもこの流れの中で始まった出来事である。

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自らはEU支持者であるキャメロン英首相(当時)が国民投票を約束したのは2013年1月のことだった。リーマン・ショックに連鎖して起きた欧州債務・ユーロ危機とEU域内からの移民急増のダブルパンチで、英国内の反大陸欧州感情に火がついていたときだ。

キャメロン首相(当時)〔PHOTO〕gettyimages

英下院では与党・保守党の欧州懐疑派がEU離脱の是非を問う国民投票の実施を求める動議を提出し、EU離脱と反移民を掲げる右翼政党「英国独立党(UKIP)」が党勢を拡大して保守党の支持基盤を浸食し始めていた。

危機感を強めたキャメロン首相が打ち出した“裏技”がEU離脱の是非を問う国民投票である。事態がコントロール不能になる前に反欧州感情のガス抜きを図り、保守党内の欧州懐疑論とポピュリズムの増殖の芽を摘む狙いがあった。

EU加盟の是否というような一大政治課題は、国民投票のような形で明確に決着をつけなければ問題が尾を引き続け、英国を不安定化させるという懸念もあった。

キャメロン首相は離脱決定後、「後悔はしていない。英国の政治が先延ばししてきたEUとの関係をはっきりさせる必要があった」と語っている。

キャメロン首相の皮算用

国民投票を“裏技”と書いたのは、英国には国民投票の実施を義務づける法規定はないからである。

英国の国民投票は今回で3度目だが、特異な共通点がある。1975年のEC(欧州共同体、現EU)離脱の是非を問う国民投票、2011年の下院の選挙制度改革を問う国民投票と今回のいずれもが、政権が国民の現状維持へのお墨付きを得るために実施したものである。

日本では安倍晋三政権が憲法改正の国民投票を視野に入れるが、英国の国民投票は、一般的にイメージされる制度変更を図るための国民投票とはベクトルが逆なのである。保守的な英国らしい、国民投票の活用と言えるかもしれない。

話をEU国民投票に戻すと、その実施には「2015年の次期総選挙で保守党が勝利した場合」という前提条件が付いていた。

保守党は2010年総選挙で13年ぶりに政権に返り咲いたが、下院で単独過半数には届かず、キャメロン政権1期目は自由民主党との連立政権だった。

キャメロン首相には、国民投票の約束によりEU問題を先送りするだけでなく、次期総選挙で保守党の単独政権を実現するための選挙戦略に利用するという隠された意図があったのである。

キャメロン氏には当然、国民投票を無難に乗り切れるという皮算用があった。1975年のEC国民投票では、67%の高率で残留が支持されたという経緯もある。

しかし、キャメロン首相が描いた楽観的なシナリオは大きく狂うことになる。