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「山下財宝」を追え! 過熱するトレジャーハントに比政府が法規制
単なる都市伝説か、それとも…

フィリピンで最も有名な日本人の名前は「ヤマシタ」であると言われる。ヤマシタとは、日本陸軍第14方面軍司令官、山下奉文大将のことである。

山下大将は1945年9月2日、ルソン島北部山岳地帯のイフガオ州キアンガンの山中から数少ない側近とともに山を下り、村の小学校で降伏を申し出た。

部下とともに投降する山下大将〔PHOTO〕gettyimages

この日をもってフィリピン戦線は終戦を迎えたため毎年9月2日を「戦勝記念日」としてフィリピン国民は戦争終結を祝う。また、キアンガンでは10年ごとに「ヤマシタ将軍降伏記念式典」が開かれている。

2015年の式典には日本軍と戦ったというフィリピン人退役軍人などが参加、功労勲章を受章した。

記念式典の参列した元兵士(筆者撮影)

キアンガンからサガダを経てルソン島西部海岸に至る道路の、セルバンテス手前の山中やイフガオ州ラムット山中には「ヤマシタ・ケイブ(山下洞窟)」といわれる戦跡が残されているほか、バギオから東へアンブクラオを経由してアリタオに至るの道路は「ヤマシタ・ロード」と呼ばれている。

そしてフィリピンでは、「ヤマシタ」という名には必ず「トレジャー」という言葉が続き、「ヤマシタ・トレジャー(山下財宝)」として今なおトレジャー・ハンターたちを惹きつけて止まない。

山下将軍降伏70年記念式典が行なわれたキアンガンの広場(筆者撮影)

単なる都市伝説なのか

「山下財宝」には2つの説がある。

一つは、太平洋戦争中にビルマ方面で日本軍が徴発、接収した金塊などの宝物を日本へ海路輸送する計画があり、シンガポール、フィリピンを経由したところで戦争が終結、フィリピン国内に密かに隠したという説。

回収しようとした関係者が全員戦死、あるいは戦犯として処刑されたためにその所在は全くわからなくなっているるというものだ。

 

もう一つは、大量の物資を調達するために日本からフィリピンに空輸され、マニラ市内に保管された金貨があり、その数は2万5000枚にのぼるという説。

米軍がマニラに迫ったために山下将軍の司令部とともに金貨も北上、一時司令部が置かれたルソン島北部山岳地帯にあるベンゲット州バギオ市を経てルソン島山岳部を転々とし、一部は各地の部隊に配布されたといわれているが、終戦のどさくさでその行方は不明となったままとされている。

いずれも「都市伝説」に過ぎない、との見方が有力ではあるが、1942年に日本が進駐、米軍が降伏した際に密林から大量の貴金属が発見されたり、その昔入植した日本人が戦火を逃れるために隠匿した財宝とみられるものが発見されたり、空輸金貨と同型のものが戦後日本で発見されたりしている。

マルコス元大統領のイメルダ夫人(現下院議員)はかつて夫に不正蓄財の疑惑がかけられた際、「不正蓄財ではなく、山下財宝を発掘して米国で換金して得た財産が原資になっている」と弁明したことがある。

第10代フィリピン大統領、フェルディナンド・マルコス氏〔PHOTO〕gettyimages

一説では、マルコス大統領は、財宝の隠し場所を記した地図を入手後、軍隊を動員して地図に記された172ヵ所のうち30ヵ所で発掘作業を実施し、その時の発掘財宝を換金して6万トンの金塊を得たとも言われている。

しかし大半の国民やマスコミは、不正蓄財を言い逃れるためにイメルダ夫人が「山下財宝」を利用しただけ、と受け止めた。イメルダ夫人は懲りずに「余った財産は、北イロコス州にあるマルコス氏の実家の壁などに隠した」とも述べたものの、その後それが発見されたことも回収されたことも伝えられてはいない。