賢者の知恵
2010年05月07日(金)

灘高 元生徒会長 城口洋平の頭脳

本人は認めないが、世界一入社が難しい
IT会社の内定を断った伝説を持つ22歳

週刊現代
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 日本最高の中学、高校、大学を卒業し、さらに世界最高の企業の内定を手に入れたといわれる若者。しかし彼はそこで、既存の組織に属することを止め、自分の手で企業を作ることにした。その真意は。

小6で"覚醒"

 灘(なだ)中学に行きたいとは、自分から両親に言いました。小学6年生の夏のことです。動機は、テニスであの錦織圭(にしこりけい)クン(現プロテニスプレイヤー)に負けたこと。僕は当時テニスにすべてを賭けていたのですが、小6で臨んだ全国大会で2歳年下の錦織クンに惨敗した。

弱冠22歳の株式会社ミログ代表取締役兼CEO・城口洋平氏

 1年前は彼と対戦して勝ったりしたのですが、その年は1ポイントもとれないくらい、まったく歯が立たなかった。天才ってほんとにいるんだ、と思い知らされました。

 それで次は勉強でトップを目指すしかない、と決意したのです。

 灘中に合格すると、そのまま灘高、東大法学部と進みました。自分で言うのもなんですが、いうなれば"エリートの保守本流"を進んだ。ところが東大在学中に大きな挫折を味わって、アメリカに逃げたんです。でもそこで生まれ変わった。

 こう語るのは株式会社ミログ代表取締役の城口洋平(きぐちようへい)氏。弱冠22歳のイケメンIT社長だ。世界でも就職人気ナンバーワンの米グーグルの内定を蹴ったという噂については、「ノーコメント」とのことだったが、そんな伝説が流されるくらい、いまIT業界では注目されている存在だ。

 学生8人でミログを設立したのが'09年4月。昨年7月には増資を受けて資本金1億円となり、セキュリティソフトなどを収益の柱として単月黒字を達成した。社員45名、平均年齢28歳。今後が大注目のベンチャー企業を率いる若き総帥が、「これまで」と「これから」を赤裸々に語った。

 灘中を目指したのは、灘中には勉学の天才がたくさんいるはずで、彼らと同じ時間を過ごすことが大切だと思ったからです。

 父にもそう言って口説きました。父は、自分と同じ公立の中高から慶応大学というコースを進んでほしいと思っていたようですが、「そうか、頑張れ」の一言で認めてくれました。

 そこで神戸の学習塾が主催する灘中受験生のためのオープン模試を、友達と一緒に受けに行ったんです。

 模試は練習と本番の2回あったのですが、練習の成績は僕が400人中399位で、友達が400位。成績は皆の前で発表され、手を挙げなければならない。もう悔しくて悔しくて、その場で号泣しました。

 

 友達は本番を受けずに帰ってしまいましたが、僕は逃げるのがいやで本番まで受けました。結果は驚きの7位。その後は塾の勧めもあったのでそのまま神戸の塾に入ったのですが、受験対策の参考書が机の上で山のようになりました。

 城口氏は'87年、創業100年を超える老舗企業の長男として生まれた。家族は慶応大卒の父と女子大卒の母、現在大学3年と高校2年の妹の5人。教育方針は自由放任でやりたいことはなんでもやらせてくれるが、やるからには全力でやり遂げることを要求された。城口氏は自ら希望して小1のときからテニス、書道、水泳、絵画と習い事に明け暮れた。

 旺盛(おうせい)な好奇心と、やりだしたら徹底するという気質は、こうして涵養(かんよう)されたという。ちなみに小1で実施されたIQテストの結果は、県内1位だったという。

 塾の仲間が2~3年かけてやってきたことを、僕は実質3ヵ月でやらなければならない。めちゃくちゃ必死ですよ。残された時間を逆算したら、授業中も昼休みも起きている時間は全部勉強に充(あ)てないと間に合わない。クラブもバスケから図書部に転部させてもらってひたすら勉強しました。

 灘に入学したあとは、中高の6年間でどうやって埋没せずに存在感を出していこうかと考えました。自分は団体行動、イベント、体育祭などを仕切るのが好きだったので、そこで1位になることを目指したのです。高校で生徒会長になったのもその流れです。

 勉強は死ぬほどしました。ただ中高6年間を通じて、成績は学年200人中の20~30位。トップには届かなかった。ここでも、「天才」の壁にぶち当たりました。

伝記を読むのが好きだった

 高校では、灘高生の見本となるべく質実剛健な生活をしていました。小遣(づか)いは月3000円くらい。ただ、当時は女優の加藤あいの大ファンだったので、電車内に貼ってあるポスターを内緒で持ち帰ったり(笑)、普通に中高生の生活も楽しんでいました。

 本はよく読んでいましたね。ソニー創業者の盛田昭夫が日本バッシングに対抗して英語で書いた自伝『MADEINJAPAN』なんかも中3で読んでいました。

 ほかにも英語の本はよく読みました。マンガはそれほど読まなかったけれど、大学で、カンボジアの戦乱を経験した2人の日本人が、腐敗した日本の政治体制を表と裏の世界から変革していく『サンクチュアリ』を読んで、「和僑(わきょう)」(世界に飛び出して生きる日本人)の考えに影響を受けました。

 あとよく読んだのは歴史小説。時代背景が知りたいのでデータベースとして読むんです。人の人生を知るのがすごい好きで面白い。だから伝記もよく読みます。この人は何でこのときこう思ったのかとか、時代的な背景を考えるのが好きなんです。明治維新や終戦後に、「この変化に5年かかったのか」などと考えるのが面白くて。

 

 灘高の生徒会長だった僕にとって「東大法学部現役首席合格」というのが、ある意味ノルマでした。ものすごいプレッシャーでしたね。自分の感じとしては、まさに命を削って勉強した。首席は無理でしたが・・・。

 大学に入った城口氏は、持ち前の好奇心と行動力でさっそく動き出す。参議院議員で東大医科学研究所客員研究員でもあった鈴木寛氏のゼミで触発され、日本にもアメリカのような「医療界のコンビニ」をつくろうと立ち上がり、資本金わずか120万円で、手軽に受診できる夜間診療のコンビニクリニックを、学生など20人の仲間と一緒に開院したのだ。

 代表には僕が手を挙げました。18~19歳の現役東大生が代表ならメディアが飛びついてくれるという計算も、いま考えると関係者内ではあったかと思います。

正解が分からない世界で生きる

 実際、新宿に第1号のクリニックをオープンした当初は、狙いどおり週何本もの取材を受け、クリニックとともに僕の顔と名前も一気に世間に知れ渡りました。

 でも、現実は甘くなかった。何とか最終的に黒字にはなったものの、チェーン展開などは夢のまた夢で、最後は他の医療法人にお譲りする形でなんとか収めるしかありませんでした。

 大きな挫折でした。自分で勝ち取ったと思っていたポジションも、周りに持ち上げてもらっていただけで、自分には実力も覚悟もなかった、と今では恥ずかしく思っています。

 だからアメリカに逃げたのです。向こうに住んでいた叔母に電話して、宿だけ確保すると、帰りの日程は決めず国外逃亡。もう自分の人生は終わったと、本気で思っていました。

 でも、このアメリカで素晴らしい出会いが待っていました。バイブルにしていた『ウェブ進化論』の著者であり、株式会社はてなの取締役でもある梅田望夫(うめだもちお)先生とシリコンバレーで出会うことができたのです。

 先生からは、本当の意味でたくさんのことを教わり、勇気をもらいました。中でも一番印象的だったのは、

「ITの最先端であるシリコンバレーのトップでさえ、"What'snextbigthing?"(次に来る大きな変化はなにか)というのが毎日の合い言葉なんだ。学生に分かるはずがないだろう」

 という言葉です。これを聞いて、そうか、分からなくて当たり前なんだと気づき、救われた。それまでの僕は、灘中・高、東大法学部と、常に目標があり答えがあったからです。でも、これからは正解が分からない世界に突入するんだ、と。

 そして僕が訪れたのが、まさにアメリカの歴史的な大転換のときだったのも起業の原点になりました。

 当時は'08年大統領選の真っ最中で、とにかくアメリカ中が熱かった。なんでこんなに熱くなるんだろうと呆れるくらい熱かった。ただ、マケインが勝っていたら、たぶん僕は起業していなかったと思います。

 老齢のマケインが勝ったら、「世の中こんなもんか」と思っていたでしょうね。でも、オバマが勝った。そのオバマがグーグルを訪れたときのニュースをテレビで見ました。

 グーグル社長のサーゲイとラリーが、「僕だって10万人の会社の社長をやるなんて思ってもいなかった。2人から始まってこうなっている。だから誰だって最初は同じなんだ」と言うのを聞いて、「あ、世の中が変わるんだ」という感覚を持ちました。

 

 リーマン・ブラザーズが潰れるという事件があったのは、そのあとです。これはかなりの衝撃で、その後、GMが潰れるというのがトドメでした。こんなことってありうるのかと。

東大生は機を見るに敏

 今年3月、城口氏は晴れて大学を卒業した。冒頭でも書いたとおり、在学中に立ち上げたIT企業ミログの経営に全力を注いでいる。城口氏の大学の先輩にあたるホリエモンこと堀江貴文氏も、在学中に起業しているが、城口氏にはユニークなホリエモン論がある。

 堀江さんは僕らにとっては「織田信長」なんです。堀江さんを肯定するといろいろな意味で叩かれるかもしれないけれど、IT業界と経済界に風穴を開けたという彼の功績は大きかったわけで、誰も否定できないと思います。

 もちろん、いろいろな軋轢(あつれき)や恨みが少なからずあったのだと思いますが、たとえば東大や東工大などに学生発ベンチャーを応援する産学連携のユニットができたのは、堀江さんの影響もある。だから彼がいなければ、今の僕らもいない。

 ただ、僕らはそのあとの徳川家康世代だと思っています。

東京・目黒区にある株式会社ミログのオフィス

 僕らがやらなければならないのは、上の人が築いてくれたレールに乗って、100年、200年続くような仕組みを、しっかりつくっていくこと。自分の会社の成功だけじゃなくて、若い挑戦者も育っていけるような風土、成功したら称(たた)えられるような風土をつくることだと思うんです。

 リーマンショックのあと、東大生の志向もガラリと変わりました。以前は就職先としてもてはやされていた外資系金融への就職希望者が完全に影を潜め、僕らの年には官僚受験者が倍になった。法学部から外資系に行ったのは、最終的にはたった1人でした。

 このままでは日本は沈没すると本気で憂い、どうにかしなければと考えている同級生がたくさんいます。先日の卒業式の日にも、そういう法学部の同級生たちと、日本を救うためにはどうしたらいいか、朝まで熱い議論を交わしました。

 ひとつ忘れられないのが、灘中の1年の社会の授業で、日本のGDP(国内総生産)は10年後には中国に抜かれ、25年後にはインドネシアに抜かれると教えられたこと。中学生ながら、中国はまだ理解できるとしても、まさかあのインドネシアに・・・と、強い危機感を覚えたものですが、今まさに現実のものになってきました。

 実感としてですが、IT業界では、中国はすでに日本のずっと先を進んでいます。アメリカよりすごいかもしれません。中国はもはや日本にとって「追い越される脅威」などではなく、「挑戦すべき目標」です。そこで今、僕の会社も「百度(バイドウ)」という中国最大手のサーチエンジン会社と様々な形での協力態勢を模索しているところです。

 現在の事業の柱は、掲示板などのサイトを監視するフィルタリングや、mixiなどのソーシャルアプリです。これからは、来年はアイフォンの出荷台数を抜くといわれているグーグルのスマートフォン端末、「アンドロイド」を軸に、日本が世界に誇るアニメ、コミック等のコンテンツを世界に配信していくビジネスを構想しています。

 かつての「華僑」のように、「和僑」として誇りを持ちながら海外で実績を積み、日本人のための懸け橋になる―それが僕の夢です。



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