格闘技
輪島功一「北方領土に生まれ、日本人初の重量級世界王者になるまで」
【最強さんいらっしゃい】第5回・前編

最強とはなにか。その言葉の意味を求めて、さまよい歩くわれら「最強探偵団」。
今回は、攻撃的なファイタースタイルと劇的な試合展開、そして飾らないキャラクターで、社会現象ともいえる人気を博した、元プロボクシング・ジュニアミドル級世界王者、輪島功一さんが御登場。数々の名勝負の記憶はもちろん、波乱万丈のその半生について訊いてみた。

樺太生まれのチャンピオン

──今回御登場いただくのは、元世界ジュニアミドル級チャンピオン、“炎の男”“不屈の男”輪島功一さんです!
輪島 いやー、名前の前にいろいろとつけてくれて、ありがとう(笑)。

──それだけ肩書きがあるってことですからね。輪島さんといえば、日本人初の重量級の世界王者。それに6度の王座防衛の長期政権を築いた後2度の王座返り咲きと、社会現象ともいえる人気を誇りました。まさに70年代のボクシング界を牽引した存在ですよ!
輪島 あはは、まあこっちはそういうつもりもないけどね。自分のためにやっていただけで。ただ、いい時代だったとは思うねえ。「頑張るぞ」とか「這い上がるぞ」という想いを強く持ってた人が大勢いたし、そういう人を応援する空気もあったよね。

──そんな輪島会長のこれまでを振り返っていただきたいんですけど、昭和17年、当時まだ日本領だった旧樺太でお生まれなんですね。
輪島 そう。父親は木の職人だったんだけど、大勢の仲間を雇って森林の伐採もやっていた。でっかい樹木を何本も何本も伐採しては、それを売って財を成していたんだ。千円(※現在の価値で約400万円)もの大金を持って夜の街に繰り出したっていうんだよ。

<43年、旧樺太(現サハリン)生まれ。17歳で上京。職を転々したのち、24歳で三迫ジムに入門。デビュー以降7連続KO勝ち。69年には全日本ウェルター級新人王と日本ジュニアミドル級王座を獲得。71年、カルメロ・ボッシを破り世界ジュニアミドル級王座を獲得し6度防衛。オスカー・アルバラード(米国)に敗れ王座転落も再戦で王座奪回。初防衛戦で柳済斗(韓国)に敗れ再び王座から転落。しかし半年後の再戦で返り咲くなど、「炎の男」のニックネームで絶大な人気を誇る。引退後はタレント活動、団子屋経営などで話題を振りまき、現在は輪島スポーツジムを経営、後進の指導にあたる>

──それは豪快ですね!
輪島 だからめちゃくちゃ裕福な家だったらしい。……ただ、悲しいことに俺は生まれたばかりだから全然その頃の記憶がないの。そうこうして、日本が戦争に負けて、ソ連が攻めて来るってなったときに、北海道まで逃げなきゃならんという話になった。そのときにお金の大半を使ったらしいんだよ。「いついつに船が出る」っていう情報を持ってる人とか、その船に乗せてくれる船元とかに払ったっていうんだな。

──それは船に乗せてくれるように便宜を図ったってことですか?
輪島 そういうこと。ソ連兵は無茶苦茶するというウワサがあったから、逃げなきゃ酷い目に遭うぞ、と。実際、一部の女の人や子供は酷い目に遭った。そうならないための情報を、お金を出して買ったんだ。金を持ってない人は情報を買えないし、もちろん船にも乗れない。だから随分たくさんの人が樺太に取り残されてさ。戦後も何年かたってようやく日本に戻ってきた人もいるんだから。

──朝鮮の人は無国籍になって、結局樺太に残ったとか、いろいろな問題が取り沙汰されましたよね。
輪島 そうだよ。例えば朝鮮の人や中国の人の多くは樺太に残されたんだ。気の毒だよ。こういうのを戦後の日本は、高度成長だなんだで関心を持たずに流してしまった。「臭いものにはふたをしろ」だ。はっきり言う人が少なくなったんだな。俺はこういった話も隠さずにするわけよ。

──それで、輪島家は大金をはたいて船に乗ったということですね。
輪島 船っていっても、小さいボロ船だったらしい。そこにぎゅうぎゅうに乗せられてトイレも何もない。そんなんで宗谷海峡を渡ったんだから命がけだわな。よく沈没しなかった。そうして北海道に逃げたんだ。

──で、輪島会長の記憶はこの北海道から始まるというわけですね。ちなみに最初の記憶ってどんなものですか?
輪島 船に乗るのにどれだけお金を使ったんだか、とにかく食うものがない。戦後だからみんな貧乏だったとは思うけど、いきなり食いぶちもなくなるわけだから。いつも腹を空かせていたね。それで小6のときに「腹一杯飯が食えるから」って言われて、俺だけ親戚の家に養子に出されたんだ。

──養子ですか。親元を離れて?
輪島 そうだよ。両親とも「よかったなあ、お前は腹一杯飯が食えるんだぞ」って言うわけ。俺には兄貴がいるんだけど、「なんで俺に言うんだろう」とは少しも考えなかった。「やったー、飯が食える」ってのんきなもんだったよ。それで士別から、親戚のいる久遠村(※現在の久遠郡せたな町)に移り住んだ。

──で、腹一杯の飯は……?
輪島 そんなもの、あるはずもなかった。「人手が足らないから」ってすぐに働かされたんだ。早い話、口減らしだよな。それで着いた日にいきなり「おい、漁行くぞ」でイカの漁船に乗せられてさ。小6なのにだよ。

──小6でイカ釣り漁船ですか……!
輪島 あれね、イカ釣り漁じゃなくて本当は「イカ付き漁」なんだ。ハリが付いている円形の道具を海深く下ろして、それに大量のイカがくっついているわけ。だから釣りというより「付き」であり「一突き」の「突き」だな。それを引き揚げる。その繰り返し。相当重いんだよ。それを夜通しやる。

──夜通し。
輪島 夜通しだよー。イカ漁は真夜中って決まってるからさ。何度も言うけど小6だよ(笑)。小6から高1までずっと。それで、朝になったら浜に戻って、大人たちは寝る。でも俺は寝られない。学校に行くんだから。

──きっついなあ! じゃあいつ寝るんですか?
輪島 授業中しかないよな。でも、先生(親方)にはぶっ叩かれるんだ。でも寝ないと身体は持たない。だからその時分、俺は本当に布団で寝てないのよ。これは冗談じゃないんだよ。

──凄まじい話ですね。ってことは、そのまま漁師になる可能性もあったわけですね。
輪島 まあね。とにかく頑張ってイカ付き漁をやってて「将来はこのまま漁師になるのかな」って漠然と思ったことはあったんだけど、ただ一番の問題は船酔いがどうしても治らなかったこと。これはどうしようもない。体質だからどうしても治らない。

──不屈の男にも不可能があったわけですね。
輪島 ここが人生の岐路だったね。「このまま漁師やっても仕方ない。この家を出よう」って決めてさ。家出だな。それである日漁を終えて、おばあちゃんにだけ「俺、船酔い治らねえから、もう家を出るわ」って告げて、学校に行くふりしてそのままバスに乗って出て行ったの。