焦土と化した東京〔PHOTO〕gettyimages
近代史

日本からクリスマスが消えた年〜「抹殺せよ、アメリカ臭」

真珠湾攻撃、そして敗戦へ

本来、日本人とはまったく縁もゆかりもないクリスマス。それがいつのまにかわが国では「恋人たちの夜」となりました。いったいなぜ?

クリスマスと日本人の不思議な関係を解き明かす連載第20回(前回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/50567 第1回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056)。

今回は、日本人がクリスマスを楽しめなかった太平洋戦争中のお話です。

自粛のXマス・イーブ

1939年(昭和14年)。

9月にナチスドイツがポーランドに進攻し、英仏との交戦状態に入る。新聞では「欧州の大乱」として報道している。

ちなみに、イギリスはからくも抵抗をつづけるが、フランスは1940年にあっさりと負け、あっさり降伏している。以後、フランスは、ドイツ・イタリアに近い存在としてヨーロッパにあった。当然、第二次大戦中は日本寄りの国ということになる。

支那事変3年目の年として、新聞紙上には「聖戦三年」などの文字が躍る。

しかしクリスマスの記事はまだ、いくつか掲載されている。

1939年12月14日「独・Xマスに手ごころ サンタクロースに入国許可 大戦挿話」。これは外電。戦争中のドイツでクリスマス期間中は物資制限令を緩和するというニュースである。クリスマスケーキに麝香草やヴァニラなどの香料の使用が許可された。

1939年12月21日「〝国際〟クリスマス」。神田YMCA会館で、在京の留学生を招き、クリスマス会を開いた。

1939年12月22日「Xマスの歌を聴く会」。永田町ドイツ大使館ホールで〝ドイツのクリスマスの歌〟を聴く音楽会が開かれた。

1939年12月23日「戦時クリスマス三色版 国際電話と特電に聴く」。ドイツ、イギリス、アメリカの戦時下のクリスマスの様子を取材している。

どうも新聞記者が、クリスマスの記事を書きたくてしかたがない、という感じがする。

 

そしてクリスマスイブの都内の風景。

1939年12月25日「自粛のXマス・イーブ」

「二十四日の日曜はクリスマス・イーブとかち合い、各デパート等は家族連れの買物部隊で、売場という売場は何れも大混雑、夕刻には浅草の盛り場、日比谷の劇場街、銀座の舗道は、次第に人波を増して、ことに銀座は押しても突いても歩けぬ人出。

然しカフェー、ダンスホールも聖戦下三度目のクリスマスだけに、昨年以上の自戒振りで、絢爛たるデコレーションも姿を消し、クリスマスの文字も余り見られなかった」

自戒しているようである。どっかで見つからないように地味にクリスマス会をやっていそうだけれど、見つかってないかぎりは記事にならない。

まだ戦争3年目、早く戦争が終わって、もとどおりのクリスマスができればいいのに、という気持ちが何となく洩れてきている。たぶん支那事変は、まだ少し他人事だったんだとおもう。

この年の新聞広告にメンソレータムの広告があり、「メンソレータムのクリスマスプレゼント、オモチャとともにメンソレータム」という文字が入っていた。これがこの年の広告に入っていたたった一つの「クリスマス」の文字である。

そしてこれが最後となる。翌年より、新聞広告にクリスマス、の文字は消える。1946年まで。