中国へ渡る日本兵〔PHOTO〕gettyimages
近代史

総動員体制下、クリスマスは目の敵にされ、街から消えていった

警察が睨み、自粛自戒の時代へ

1937年、支那事変が勃発。これを境に日本社会の空気は一変する。相次ぐクリスマス・イベントの自粛、街からは酔っ払いも消えた。

クリスマスと日本人の不思議な関係を解き明かす好評連載第19回(前回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/50477 第1回はこちらhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/47056

転機は1937年

かつて、昭和の中ごろに受けた教育では、戦前は暗い時代だった、というイメージを強く押しつけてきた。あれはあれで、戦前の教育と同じレベルでの酷いものだったとおもう。左翼思想の哀しき表出であった。

その、「暗かった戦前」というのは、1937年(昭和12年)から始まる。

1937年支那事変が勃発し、戦時体制となり、1938年国家総動員体制(国の指令による非常時となる)、1940年大政翼賛会成立につながっていく。

戦前日本で、クリスマス騒ぎが自由にできなくなるのは1937年(昭和12年)からである。昭和12年から昭和20年、1937年から1945年の8年間が「日本社会における異様な時期」となっている。

1945年の大敗戦の衝撃があまりに大きかったため、その源流、原因を1936年以前にまで求め、そこから間違っていたという検証をしたために(検証そのものは有意義なことであるが)、同時に、1936年以前の社会もずっと暗かったかのようなイメージを抱かされてしまった(1958年生まれの私は教育によって徹底的にそう教えられた)。それはまったくの間違いである。

暗いのは1937年から、本格的に暗くなるのは1938年から、生活じたいが息苦しくなるのは1940年からである。そのへんも覚えておいてもらいたい。それ以前は、いまよりももっとバカっ騒ぎをしている社会であった。

クリスマス・イベント中止

1937年7月、盧溝橋事件を発端として、支那事変が起こる。

1931年の満州事変とは、レベルが違う。あきらかに日本と中華民国との全面戦争である。紙面の空気がまったく違っている。ただ宣戦布告がなかったために事変と称された。

 

12月には南京を陥落させ、その写真も新聞に載っている。その南京城門爆破写真の下には、ハリウッド映画『二人のメロディ』『画家とモデル』の広告が載っている。

「ヒ総統 皇軍を絶賛 果敢 寡兵よく衆敵を撃破」との見出しもある。ヒ総統とはドイツのヒットラー総統。

12月18日「第十回 森永クリスマスの集い 中止」の広告が載る。

「皆さま お待ちかねのことと思いますが 今年は皆さまのお父さんやお兄さん方が遠く戦地に行かれてどこもお忙しい時ですから 今度だけは森永クリスマスの集いをやめることにしました。どうぞあしからず(森永サンタ爺さんより)森永製菓」

サンタクロースが日の丸を左手にもって頭上に掲げ、右手で肩から担げている袋には「ヰモンブクロ(慰問袋)」と書いてある。毎年この広告をチェックしていた者としても、とても残念である。今度だけは、と書かれているが、もちろん翌年から再開されることはない。

12月24日に日比谷公会堂で朝日新聞社主催のイベントが開かれているが、これが「皇軍大捷の歌発表会」となっている。おそらくクリスマスイブイベントとして会場を押さえていたものが、時局が大いに変わって、戦勝を祝う会に変更したのではないかとおもう(別のクリスマスイベントの会場キャンセルによるものかもしれないのだが)。

ただライオン子供歯磨きの会は開かれたようである。

「ライオンコドモ歯磨 愛用者ご優待 面白い楽しいコドモデー

十二月廿四日 午前十一時より午後三時まで 東京宝塚劇場 入場料一円 ライオン歯磨きご持参の方が五十銭」

たしかにクリスマス、という文字がどこにも入っていないため、言い訳が通ったのかもしれない。