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エンタメ 週刊現代
石川さゆり『津軽海峡・冬景色』はなぜ国民的名曲となったのか?
冬に聴きたくなる理由

夜行列車が新幹線に代わった。青函連絡船も今はもう無い。それでも古びないこの歌を聴けば、昭和の北国の雪景色と凛とした女性の姿が目に浮かんでくる。

圧倒的な歌詞のパワー

あがた 『津軽海峡・冬景色』は、昭和の北国の旅情をかきたてる、年の暮れに聞きたくなる名曲ですよね。

三田 紅白歌合戦でも、9回披露されています。私はNHKのディレクター時代に紅白のスタッフを経験しましたが、紙吹雪の演出をやると会場がすごく盛り上がる。

マーティ 『津軽海峡・冬景色』が発売された'77年に石川さゆりさんは紅白初出場。当時、僕はまだアメリカに住んでいましたが、日本では大ヒットしたそうですね。

三田 僕は大学4年生でした。ちょうど8トラックのカラオケが出始めた頃で、学生街のスナックに行っては皆で『津軽海峡・冬景色』を歌っていた記憶があります。「こごえそうな鷗見つめ」のところの腕を振る振り付けをマネしていましたね。

その頃はこの曲の作詞を担当した阿久悠さんの仕事のお手伝いをするようになるとは想像すらしていませんでした。

あがた 僕は歌手デビューして6年目の頃にこの曲を初めて聴いたんですが、歌詞やメロディ、歌唱の機微すべてに衝撃を受けた記憶があります。

三田 マーティさんは、この曲とどのようにして出会ったのですか。

マーティ 当時アメリカで日本の名曲を紹介するラジオ番組が放送されていたんです。そこから流れてきたのが、この『津軽海峡・冬景色』でした。'83年頃のことですね。日本語は全く分からなかったので歌詞はひとつも理解できませんでしたが、それでも、この歌の持つ強さや悲しさが伝わってきて、衝撃を受けました。

さゆりさんの声の揺らし方やメリハリ、こぶしの利かせ方が自分の感性に強く訴えてくるものがあったんです。あの時この曲を耳にしなければ、今こうして日本を愛し、日本で活動することはなかったと思います。

 

あがた 演歌の歌詞ってどうしても、悲しみや未練を主題にしがちです。それは裏を返せば、メロディが悲しい歌詞に耐えられるだけのパワーを持っているということ。だから言葉の壁を超える力があるんでしょうね。

マーティ アメリカ人が聴いたことのない旋律なんですよ。さゆりさんの歌声を聴いて日本には凄い音楽があるんだなと思いました。

三田 もともとこの曲はシングルで発売されたわけではなく、阿久悠さんの作詞と三木たかしさんの作曲で楽曲作りをした『365日恋もよう』(1976年)というアルバムに収録されていた一曲。アルバムは1月から12月、それぞれの月をテーマにした12曲で構成されていました。『津軽海峡・冬景色』はその12月の曲です。

当時、森昌子さん、桜田淳子さん、山口百恵さんの「花の中3トリオ」の人気が急上昇していて、さゆりさんが所属していたホリプロ創業者の堀威夫さんには、なかなかヒットに恵まれない彼女をなんとかしてあげたいという気持ちがあったそうです。

そこで、「儲からなくてもいい」と損得抜きに新歌舞伎座(大阪)でコンサートをやらせた。そのとき披露した曲の中で一番ファンからの拍手が多かったのが『津軽海峡・冬景色』で、「この曲はいける」とシングルカットされた。

あがた さゆりさんも当時は桜田淳子さんっぽいアイドル路線でしたから、この曲で相当イメージチェンジしたと思います。

三田 そうですね。この曲はかなり大人向けに作られていると思うんです。10代の終わりからさゆりさんが歌い始めて、30歳くらいでやっと追いついた気がします。

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