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野球 週刊現代
プロ野球選手「あの大活躍した1年」の正体〜本人たちがいま振り返る
幻ではない、でも2年は続かなかった

〜ロッテ・高澤秀昭 阪神・仲田幸司 中日・小野和幸 日ハム・西浦克拓〜

プロ野球ファンなら、彼らのあの輝きを覚えているだろう。そして、それが2年続かなかったことも。「一発屋!」と野次られ、やがて忘れられていった男たち。あの1年を、本人たちがいま振り返る。

 

「運」があの1年に集中した

「今思うと、人間に『運の総量』があるとすれば、首位打者のタイトルをとれた'88年にそれがグッと集中したのかな、と思います。当たりが悪くても、ヒットになることが、この年は不思議と多かったですから」

元ロッテの高澤秀昭(58歳)はそう振り返る。

「あの年、夏ぐらいから打率上位にいることができて首位打者を意識するようになりましたが、ヒットが出る、出ないで気持ちのプラス面とマイナス面が行ったり来たりしだした。そんな時、攻めの気持ちを持って数多く打席に立てるきっかけになったのが、メジャーリーグの存在でした。

僕は昔からメジャーに憧れがありましたが、ちょうどその頃、衛星放送で中継されはじめました。当時は今ほど馴染みがなかったので、アンテナとチューナーを35万円ぐらいかけて設置し、メジャー中継を見てから家を出るのが日課になった。

メジャーは守備もバッティングもすごく攻撃的で、その気持ちをもったまま球場入りできた。子どもがウルトラマンになったような気分です」

攻める気持ちを身につけた高澤が心がけていたのが、「運」を大切にすることだった。高澤が続ける。

「プロ3年目に結婚した女房は『プロ野球は運が大事な世界』と、家を出るときにはいつも塩で清めてくれました。『眉毛が薄くなると運が悪くなる』と言って、眉毛を書かされたこともあります。球場のロッカールームでもやってたら、『何やってるんだ』と周りから突っ込まれましたけどね」

'88年といえば近鉄が優勝を逃した、球史に残る「10・19」。このダブルヘッダー第2戦で高澤は、近鉄の優勝の可能性を消す同点本塁打を放ち、ファンの記憶にも残った1年となった。しかしその後はケガを繰り返し、'90年に広島に移籍するも、'92年に引退するまで打率3割を達成することもなかった。

「タイトルをとって、満足してしまったわけではないんです。あの年と同じようにやろうとしたんですけど、できなかった。普段持ち慣れないものを持ってしまったような感覚なんでしょうか。

もっといい成績を、という気持ちがありつつ、どこかで『3割打たなきゃ』という重圧に似た感情もあった。タイトルをとった年のように攻める気持ちが少なかったのかもしれません。首位打者に、トップになったことで、気づかないうちに気持ちが『守り』に入ってしまったかもしれない。でもあの時は、それがわからなかったんです」

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