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格差・貧困 ライフ
私の「生脱ぎブルセラ」バイト体験記〜JKビジネスの原点を振り返る
オンナの収支報告書【6】

気鋭のライター、鈴木涼美さんが「オンナのオカネの稼ぎ方・使い方」について考察する本連載。今回から3回にわたり、鈴木さん自身の女子高生時代の「JKビジネス」アルバイト体験について振り返ってもらいます。

(連載のバックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/suzumisuzuki

生脱ぎブルセラが主流だった

JKリフレにJK散歩、JKカフェなど、いわゆるJKビジネスは国連報告書で性的搾取であるなんていう今時の先進国ではレアな指摘までついて、警察庁が一斉捜査に乗り出すなどお茶の間を賑わせながら、法と規制との追いかけっこにより奇妙な進化を遂げている。

女子高生が折り鶴をつくっている様子を見学するといった何が面白いのか全く不明の形態まであった。

まったく納得の権利主張であると思う。女子高生なんて言うブランド付きの若い女子が、その今がストップ高とも思える高値の価値ある自分自身を、資本主義的目的遂行のために使うのも、それを気をもむ大人たちの懸念も、女の価値を安売りするななんていう立場から難色を示すバブル時代のオネエサンたちのプライドも、どれも理にかなっている。

ただ少なくとも女子高生たちが、自分たちの価値が今後も一定期間上がり続け、良き年齢で最高値になり、そこで伸びしろのある伴侶を最安値で見つけるなんていうことを現実的に夢見れるほどに楽観的であれば、数千円そこらで見知らぬ男性の添い寝なんてしないだろうと私は思う。

そういった現象はむしろ添い寝して数千円もらえるのもここ数年で終わりであるという絶望感と、どうせ売るなら高いうちにという開き直りのもとにある。

 

そういった絶望感と開き直りが、女子高生という圧倒的なブランドとリンクして花開いた時代はかつてもあった。

私は、16歳というそのハイブランド真っ盛りの時に渋谷の真ん中でそれを間近に目撃し、またその中にいることができた。時は1999年秋。スクランブル交差点の目の前に巨大なTSUTAYAが開業した直後のことだ。

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「ごめんね、もう家? 電車? ごめんね、しつこくかけて。でも聞いて! 7回売れたの。8万超えて、歴代記録抜いたよ。今までミホさんの7万円と、去年卒業したサユリさんて人の6万円が最高記録だったんだって。嬉しいよ〜。今までで一番っていうのがホントに嬉しい」

高校1年生の私に電話をかけてきたのは、アユミという都内で有名な「バカ」女子校に通う親友で、私たちは渋谷駅前にある生脱ぎブルセラ店で知り合った。

アユミの中学時代の彼氏が私の高校のクラスメイトだったり、アユミの通う女子校に私も面識のあるグラビアアイドルが通っていたりと何かと共通の話題が多く、私たちはすぐに仲良くなった。

今はすでにないその店は、渋谷駅の改札を出て歩いて数分の雑居ビルの4階にあった。平日の学校の後に、友人らと約束していく場合は大抵、渋谷南口を出てすぐの歩道橋の下で午後3時に待ち合わせた。

勢い良く歩くと微妙にぐらぐらする歩道橋をわたって、近くに当時あったエーエム・ピーエムでお米サンドやジュースを買い込み、「USED CLOTHES」の看板が掲げられた雑居ビルの階段をのぼる。

客と鉢合わせしては困るから、という理由で、エレベーターは使用禁止だった。店の営業時間は午後1時から午後10時までの間で、女の子たちは自分が希望する出勤時間を店に前日までに伝える。アユミはほとんど毎日、放課後の午後3時から出勤していた。
 
99年当時、すでに下着を持っていけばポラロイドと一緒に買い取ってくれるような店はほとんど都市伝説となっており、ブルセラの主流は「生セラ(生脱ぎブルセラ、脱ぎありブルセラ)」だった。

ケータイとプリクラが女子高生文化の主流であり、かろうじてiモードが登場していたものの、ネット検索が高校生にとって一般的な情報収集の手段になる前の話だ。

私たち女子高生は口コミ、もしくは同じ女子高生によるスカウトでブルセラ店の場所などの情報を入手し、通うようになっていた。

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