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エンタメ
脱サラから作家へ 中村航が明かす「小説のなかの自由」
マンガばかり読んでいた僕だけど

蓄積が今に生かされている

子供の頃はよく図書館に通っていました。ただ読むだけではなくて、僕には「コンプリートしたい」という欲があったんです。お菓子のおまけを集める感覚と同じでしょうね。そうなると、ルパンとか明智小五郎とか、当時人気だったシリーズは貸出中の巻が多くてなかなかコンプリートできない。そんな時、棚にずらりと並ぶ椋鳩十全集に目が留まりました。

大人になって『片耳の大シカ』を読み返し、驚きました。自分が知らないうちに影響を受けていたことに気づかされたから。

椋鳩十は人間と動物の「生」を、清廉な文章で活写しています。これは僕が普段から目指していることなんですね。子供の頃の蓄積が今の自分に確かに生きていると痛感しました。

 

中学以降は、本はほとんど読まなくなったのですが、漫画は継続して読んできました。初めて読んだストーリー漫画が『あしたのジョー』です。まだ子供だったから、ジョーたちが生活している「ドヤ街」がどんな場所かは当然わからなかったんです。でも得体のしれないエネルギーは伝わってきました。そして何より、ボクシングというスポーツに大きな衝撃を受けたんです。

今回挙げた10冊のうち3冊が漫画ですが、いずれもボクシングが関係している。ちょうど今、ボクシングをテーマにした小説を書いていることもあり、敢えてこの3冊を選んだつもりでしたが、よくよく考えてみたら、書いてなかったとしてもこの3冊を選んでいただろうと思います。

ボーダー 迷走王』の主人公・蜂須賀はボクシングと音楽しか信じてないような男なんですが、彼の台詞に「ボクシングをやるには理由がいる」というものがあるんです。

今、小説のために元ボクサーに取材をしていて、この言葉を実感しますね。理由というのはお金でも満たされない思いでも復讐心でも生来の気質でも何でもいいんですが、リングの上で一対一で殴り合うのって尋常じゃない。だからこそ生き残るには理由がいるわけだし、その過酷さに、男はどうしようもなく魅せられるんだと思います。

小説の自由さに気付かされた

大学時代はバンドに明け暮れていて、たまに手に取る本も、音楽のためでした。作詞をしていましたから、美しい日本語に触れたかったんです。それで読んだのが宮沢賢治や萩原朔太郎。賢治の中でも特に好きだったのが『セロ弾きのゴーシュ』です。

チェロと言わずにセロ、そしてゴーシュ、そうした語感にまず惹かれました。さらにラストが素晴らしいんですね。楽長に怒られてばかりのゴーシュの小屋には猫やカッコウ、ネズミなど動物たちが訪れては演奏をせがみます。彼らに困りつつも、要求にこたえるゴーシュ。

動物たちとのやりとりが続いた後に、最後、ゴーシュは火のようにチェロを弾く。反復が生む爆発―芸術とはこういうものなんだと震えましたね。

僕は理系出身で、大学卒業後はメーカーに就職しました。働きながらもバンド活動を続けていたんですが、'97年にやめてしまって。それで次は小説を書きたいと思うようになっていました。