政治政策

なぜ日本人は「切腹」で責任を取るのか?

忠臣蔵討ち入りの日に学ぶ「ハラキリの日本史」

政治家や企業の不祥事が起こった時、「ハラを切るぐらいの気持ちで責任を取るべきだ」という言葉を耳にします。なぜ日本では「責任の取り方=切腹」というイメージが定着したのでしょうか? 「世界一受けたい授業」でお馴染みの河合敦先生が、「切腹の日本史」について教えます。

知られざる「ハラキリ」の歴史

お隣の韓国は、いま大変な事態になっています。ついに槿恵大統領の弾劾訴追案が、国会で採決されました。しばらくは政治的混迷を深めていくのでしょう。
 
今回に限らず、韓国では大統領の多くが、退陣後に逮捕されて有罪判決を受けています。その理由はいずれも、親族や関係者の利権がらみです。韓国では、アリが甘い汁を吸いに来るように、権力者のもとに一族や関係者が続々と群がってくる風潮が強く、そこに不正が起こりやすいのでしょう。

ただ、これは世界共通の傾向といえ、アメリカでも次期大統領になったトランプさんが閣僚を親族で固めるのではないかという噂がありますし、日本でも親族が関係した政治家の汚職事件は数えればきりがありません。
 
義理を重んじること自体は悪いことではありません。ただ、一旦不正が発覚したり、自らに課せられた使命を果たせないと知れば、潔く職を辞したり、罰を受けるのが正しい姿でしょう。今の政治家や経営者が問題なのは、それが出来ていないことではないでしょうか。物価上昇率2パーセントを約束した日銀の総裁が、その達成が不可能になっても、のうのうとその座にいるのが良い例でしょう。
 
こうした無責任な政治家や経営者を見た時、こんなことを思ったことはないでしょうか。

「江戸時代の武士なら切腹して責任を取ったはず。今の政治家も見習うべきだ」
 
実際、江戸時代の武士は、自分に落ち度があった場合、その責任をとるために割腹して命を絶つケースが少なくありませんでした。そんなことから、切腹という自殺手段は、日本人特有の責任の取り方と考えられ、外国人にも「ハラキリ」という語が知れ渡っています。

ただ、切腹も時代によって、その意味や方法が様々に変化しています。日本人が大好きな「忠臣蔵」の劇中でも、切腹の場面がよく取り上げられます。今回は、そんな切腹の歴史と変遷についてお話ししたいと思います。

日本最古の「切腹」は?

そもそも我が国で「切腹」という自裁手段がおこなわれるようになったのはいつ頃なのでしょうか。記録にある最初の切腹は、永延二年(988)のことだとされています。盗賊の藤原保輔が捕まるさい、刀で腹を割いて腸を引きずりだし、自殺をはかったというものでした。つまり、当初切腹は、武士の専売特許ではなかったのです。
 
やがて武士が登場すると、主に彼らが合戦に敗れたさいに切腹が自殺する手段となっていきましたが、当初は職務の責任を果たす行為ではありません。不運にも戦いに敗れ、窮地に追い込まれた武士は、敵に殺されるのを待つのではなく、自分で切腹して死を選ぶようになったのです。

刀で腹を割いても、死ぬまで相当な時間がかかるものです。死ぬだけなら、首を吊ったほうがすぐに死ねるし、刃物を用いる場合も喉や心臓を刺したり、首の動脈を切ったりする方がよほどすぐに死が訪れます。にもかかわらず、切腹を選ぶのはなぜでしょう。
 
切腹は、腹を大きく一文字か十文字に切るのが一般的です。己の意志で刃を左脇腹に深々と突き立て、それを確実に横に引いていった後、十文字切りの場合は、さらに刃をいったん引き抜いてから、みぞおちに突き通り、それを上から下へと引き裂いていくのです。
 
当然、激しい苦痛が襲うとともに、切腹をやり遂げるにはすさまじい意志の力が不可欠で、気の弱い人間ならショックのために失神してしまうかも知れません。実は、そこがミソで、切腹という自殺手段は、やむなく合戦で敗れたものの、その最後の場面において、どれだけ己が勇敢であるかを敵に見せつける一世一代の大舞台だったのです。
 
なお、医学的には、腹部を切開しても太い血管が通っていないため、切腹だけではすぐに失血死はしないそうです。そこで死が訪れるまでの間、さんざん相手をののしり、さらには己の腸を腹部から曳き出し、内臓を相手に投げつけるという行為が、中世の武士にはよく見られたというのですが、想像するとかなりグロテスクですね。
 
たとえば、赤松満祐は室町幕府の六代将軍・足利義教を殺害したため、嘉吉元年(一四四一)に幕府の征討軍に攻め滅ぼされます。このとき、赤松方の勇将である中村弾正は矢倉にのぼって「これから腹を切る。心ある侍は、後の手本とせよ」といい、十文字に腹部を掻き切り、はらわたを手でつかみ出し、矢倉の下に投げ落としました。

さらに驚くべきは、そのまま城へと戻って主君満祐の御座所に火をかけ、その後、自らにとどめを刺して焼死したと伝えられています。
 
まさに切腹は、「敗者にとっての晴れ舞台」だったというわけなのです。