命をかけて、息子を産んでくれた妻へ~人気キャスターが綴ったがん闘病記

幸せの絶頂に訪れた「小さな異変」

「シミケン」と呼ばれ、関西圏では夕方の顔としておなじみの読売テレビ・清水健アナ(40歳)。彼が、メインキャスターを務める「かんさい情報ネットten.」から姿を消したのは、'15年2月2日のことだった。その17日後、番組に復帰した清水アナは妻・奈緒さんが他界したことを沈痛な面持ちで告げたのだった。

結婚してからわずか1年9ヵ月で妻を喪った彼の下には、視聴者や今現在、病と闘っている人、そしてその家族たちから夥しい激励のメッセージが届いた。そんな清水アナが、「自分と同じように困難と闘っている方々に前を向いてもらえるならば」という想いから、夫婦の闘病生活を綴った手記『112日間のママ』(小学館刊)が大きな反響を呼んでいる。

番組づきのスタイリストだった奈緒さんとは、いわば職場結婚。その1年後、妻は新たな命を宿す。それはまさに絵に描いたような幸せのひと時だった。だが、小さな異変が奈緒さんに表れる。それが過酷な日々の始まりとなった。

「定期の妊婦検診で妻が『左胸の下の脇に近い部分にしこりがあるんです』と相談したのが最初でした。念のため検査すると、乳がんだとわかったんです。しかも悪性度が高く進行の早い難治がんでした」

通常の処置として分子標的治療や放射線治療などがあるが、妊娠直後の奈緒さんにとっては、胎児にどんな影響があるか分からず踏み切れない。手術でがん細胞を摘出することはできても、妊婦にCT検査は行えず、転移しているかどうかの判断もできない状態だった。担当医は「すぐに手術、そして治療に入りましょう」と進言した。

「患者のためを想う医師として当然のアドバイスです。でも、その言葉の意味することは出産を諦めるかどうかということでした。僕たちは幸せの絶頂から一瞬にして〝命の選択〟を突きつけられることになったのです」

答えを出せるはずのない選択を前に夫は悩む。だが、妻に迷いはなかった。

「妻はそれまで『あれがほしい』『これを買って』など一切、言うことはありませんでした。その妻が、初めてはっきりと僕に目で、表情で、語りかけたんです。産みたいと……」

再発したと妻には言えなかった

3人で生きる—。決して容易くはないその道を清水アナは奔走する。朝9時から通常の仕事をこなし、その合間を縫って医師を訪ね歩いた。

「奈緒は、終始『赤ちゃんを産む。そして私も生きる』と。僕と生まれてくる子供のために、当然のように母親になる準備をしていたんです」

そうして辿り着いた、とある乳腺クリニック。ここで皮下乳腺の全摘手術を行った。幸いにもリンパへの転移は見つからず、妊娠中のため、その後の抗がん剤投与が通常より少なく、副作用に苦しめられることもなかった。

「それから出産までの5ヵ月余りは、自宅で静かな時間を過ごすことができました。僕はもちろん、妻にとっても幸せな時間だったと思います。後々自宅のあちこちから育児雑誌が出てきましたから」

奈緒さんは帝王切開で無事、男の子を産んだ。しかしその直後、事態は急変する。初めて受けたMRIとCT検査で、肝臓や骨、骨髄への転移が判明、余命3ヵ月と宣告されたのだ。夫は、事実の一切を妻には伏せた。

「僕には言えなかった。奈緒には幸せいっぱいのママでいてほしかったから。不安とか怖さは僕がせき止めて、ママになった奈緒と、親子3人、笑って過ごしたかったんです」

最後まで奈緒さんに転移の告知はされなかったが、夫の表情から察したのだろう。新たに投与された抗がん剤による強烈な副作用から高熱と口内炎に襲われ、食事はもとより、水さえ飲めない状態だったにもかかわらず、「私にとってこれは栄養剤だから」と治療を拒むことはなかった。

「妻は僕らのために闘っていました。だから、希望がほしかった。無理を押して、竹富島へ親子で旅行に行ったのもその一つです。雄大な景色を前に、新たな希望が見えてくるかもしれないと、すがるような気持ちもあったんです」