柏レイソル時代の安永聡太郎選手。2005年〔PHOTO〕gettyimages
サッカー
少年のようにサッカーを愛する男は、なぜ監督とぶつかって干されたか
安永聡太郎Vol.1

あいつはどうしているのだろう。

ふとしたとき、記憶の奥底からゆらゆらと顔が浮かんでくるような知人が誰にでもいるはずだ。決して親しくはない。しかし、何かが引っかかり、気になる人間――。

安永聡太郞はぼくにとってそんな男だった。

ノンフィクションの仕事をやっていると、多くの人間と知り合いになる。1時間程度、話を聞くだけで終わることもあれば、取材をきっかけに長い付き合いとなることもある。

安永とは1日一緒に過ごし、取材、食事、そして練習を見に行っただけだった。他の取材と少し違ったとすれば、その場所がイベリア半島の小さな港町だったことだ。

2002年9月、ぼくはスペイン、ガリシア州フェロールで安永と会うことになった。

ガリシアの歴史は紀元前6世紀にケルト人により始まっている。カストロと呼ばれる要塞化した集落が点在し、部族、氏族単位の共同体が形成されていたという。現在に至るまで、スペインで最もケルト的要素を残している地域である。

また、大西洋に面しているため、他の大陸との交流も盛んだった。18世紀末から多くのガリシア人がアメリカ大陸へ移民している。先日亡くなったキューバの最高指導者だったフィデル・カストロはガリシア人の末裔である。

フェロールは、巡礼地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラから約100キロの場所にある。中心地は白っぽい建物が多く、訪れる人に品の良い老婦人のような印象を与えた。ただ、物好きな観光客が、この地に生まれたフランコ将軍の像に多少興味を示すことを除けば、特徴がない街だ。

居場所を求めて本場スペインへ

安永とは彼の住んでいるアパートの1階にあるバールで待ち合わせしていた。約束より少し遅れて、今起きたばかりですとわざわざ書いたかのような顔の安永が現れた。

「部屋にあがりますか?」

 

彼の部屋はがらんとして何もなかった。家具は元々ついていたものだけなんですよと、安永は言い訳するような口調で言った。

作り付けの棚には身の回りの生活用品が並べられており、リビングのテーブルの上にスペイン語の辞書とノートが広げられていた。いかにも仮住まいといった風情だった。

安永は2002年シーズンからスペインリーグ2部のラシン・デ・フェロールに加入していた。

フェロールは1919年に設立されている。同じガリシアのデポルティーボ・ラコルーニャやセルタ・デ・ビーゴと違い1部リーグの経験はない。2部と3部を行き来する典型的な地方クラブである。

安永がこのクラブにやってきたのは、所属していたJリーグ横浜F・マリノスの監督、セバスチャン・ラザロニと衝突したからだった。