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海外留学志望の高校生たちを翻弄する、いかがわしい「物語」
そして若者は神経症を患わった

アメリカの大学受験を目指す日本人高校生と向かい合って座り、好奇心と不安が混ざる声に耳を傾けていると、急に相手が泣き出してしまい、筆者はすっかり動揺した。

16歳の男子高校生は、地方政府系の教育団体が主宰する奨学金制度を利用して、昨夏参加した短期留学プログラムについて話してくれている最中だった。アメリカの大学受験への布石として本人が希望した体験は、なぜ、唐突な生理現象を引き起こす思い出として残ってしまったのだろうか?

この連載では、現代美術プロスポーツなどを例に挙げて、社会に流通する様々な「物語」への需要と、その暴力性について書いてきた。今月は、海外留学を目指す日本人高校生たちを翻弄する、一つのいかがわしい「物語」を検証してみたい。

 

憧れの短期留学を台無しにしたもの

相談の連絡をくれた男子高校生を悩ませたのは、いわゆるホームシックや、唯一の異邦人であることによる疎外感といった、異国での生活に付いて回る問題かと推察し、尋ねてみた。すると意外にも、筆者の想像とはまったく異なる種の不安が、彼の短期留学を台無しにしていたことが分かったのだ。

奨学金を付した教育団体は、6週間のプログラム期間中、彼が毎週日曜日に、その週を振り返った短いレポートを執筆し、デジタル写真一枚を添えて報告することを課した。彼が送る6回のレポートは、団体が発行する広報紙に掲載され、翌年以降に奨学金制度の利用を希望する学生たちの参考資料になるという。

一見罪のない課題だが、この定期報告義務は、とてつもないプレッシャーとして彼にのしかかった。それは、留学体験のありのままを書き留めるという建前とは裏腹に、教育団体がじつは期待しているレポートの具体的な内容について、容易に想像が及んでしまったからだという。

つまり、「最初は唯一の日本人として、なかなか周囲に馴染めず、場合によっては他の学生との小競り合いを経験し、しかしやがては、得意の野球を通して仲間ができ、ついに6週目の日曜日には、肌の色が異なるチームメイトたちと肩を組んで笑う写真を日本に送る」――。そんな筋書きへの無恥な期待を感じとってしまったというのだ。

残酷なことに、毎週のレポート執筆は、いつしか留学体験そのものを差し置いて、それ自体が目的と化すのが避けられない。毎週定時に放映されるテレビドラマと異なり、7日ごとに新章が演じられるとは限らない留学生活において、まるで原稿料を前借りしてしまった脚本家のような神経症を患いながら、彼は一夏を過ごした。

視聴者の欲求を的確に理解しながら、一方で嘘の物語をでっち上げるほどの厚顔を持ち合わせない彼は、自らの日常を教育団体が求める筋書きに近づけようとして、「肌の色が異なるチームメイト達との写真」という偶像を追いかけざるを得なかったのだ。

「それが、息苦しかったんです」

そう言って彼は、涙を拭った。

彼が想像するような筋書きを、教育団体が実際に求めていたのか、またそれが、どれほど明示的な欲求だったのか、筆者は知り得ない。しかし、留学体験の後味として16歳の心に残ったものが、快楽ではなく、特定の物語を構築する必要性に迫られた一種の神経症であることに疑いの余地はなかった。

特定の物語に対する需要が明らかにするのは、それを執拗に求める我儘な「観客」の存在である。筆者は10年以上前に自らもアメリカ留学を経験したが、その時には遭遇することのなかった、この「観客」という新しい存在の出現に驚愕したのだ。

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