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まったくモテない男が「自己啓発本」を読んでたどり着いた結末
男にとって「弱さ」とは何か

「男のプライドを捨てられたらよかったのに」「息子さんだってお父さんが生きていてくれることを望んでいただろうにね」――。

この辛辣な言葉は、シングルファーザーの知人が自殺した際に、周囲の人が彼に向けた言葉だ。なぜ自殺した後ですら「男であること」を責められてしまうのか。その時の強烈な違和感をひとつの入り口として、『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』という本を執筆した――。

 

男だから弱い

近年、「男らしさ」の意味も変わってきている。「男は一つの会社に定年まで勤め、給料は妻と子供のために使う」という男性像は、すでに当たり前のものではなくなった。家庭生活も不安定になっている。その中で男性たちもまた、様々なアイデンティティの危機や、ジェンダーの揺らぎを抱えている。

しかしそうした状況に対して、男性たちはそもそも、自分たちが経験し、直面している痛みや葛藤をちゃんと語るための言葉をもっていないのではないか。

たとえば「男性」には「男たるもの弱音を吐いてはいけない」「弱さを人前で口にしてはいけない」というイメージがある。

怖いと言えること、泣けること、逃げられること。それは過去の傷やトラウマを乗り越えるためには、大切なことである。

しかし、男性たちはこの社会で「男らしさ」を守り続けるために、弱さや恐怖心を常に否認しようとする。そのために、自分に自信を持てない男性たちが、過度な強さやマッチョさを追い求めてしまう、というパターンもある(ジムに通って筋肉を鍛える、学問や仕事に過剰に没入する、付き合う女性をとっかえひっかえする、等)。

つまり、男たちの中にある根深い弱さとは、自分の弱さを受け入れられない、という弱さなのではないか。自分の弱さに向き合うことは、男性たちにとって、ひどく怖いことなのである。

たとえばお酒の席などでも、男同士の絆を強めるための「愚痴」は口に出せるが、自らの弱さをさらけ出すこと、「弱音」を吐くことはできないのである。

とすれば、世の男性たちにとって必要なのは、己の弱さを受け入れる勇気であり、弱くあるという勇気なのではないか。

男たちがもっと積極的に己の弱さを語り出す。そこから、この社会のあり方もまた変わっていくのかもしれない。ということは、現代の「男らしさ」の意味の変化は、男性たちが新しい生き方や自由を探し求めていくというチャンスにもなりうるかもしれないのだ。

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『嫌われる勇気』との共通点

最近、私の『非モテの品格』を読んだ何人かから、あなたの本は自己啓発の本に似ているのではないか、と指摘されたこともあり、『嫌われる勇気』をはじめて手に取った。

『嫌われる勇気』は、哲学者・岸見一郎とフリーライター・古賀史健の共著である。岸見氏は、ソクラテスやプラトンらのギリシア哲学とアドラー心理学を結びつけながら、「幸福とは何か」を考え続けてきた哲学者だ。

そのために、『嫌われる勇気』は、ギリシア哲学の古典的手法としてよく知られている「対話篇」(青年と哲人の対話)として構成されている。

私が興味をひかれたのは、『嫌われる勇気』の「青年」が、人付き合いが苦手で、屈折した心を抱えた人間として設定されている、ということだった。

彼は自分に自信がもてず、上司との関係もうまくいかず、異性からもまったくモテない。同世代の人間が活躍していると、劣等感を感じてしまう。そのために、日々の幸せを実感できず、自分を愛することができない。他者に対して攻撃的にもなりがちだ。

《もう先生もお気づきでしょう。まず挙げられるのは、この性格ですよ。自分に自信が持てず、すべてに対して悲観的になっている。

それに自意識過剰なのでしょう、他者の視線が気になって、いつも他者を疑いながら生きている。自然に振る舞うことができず、どこか芝居じみた言動になってしまう。そして性格だけならまだしも、自分の顔も、背格好も、どれひとつとして好きになれません。》(64頁)

つまり、この青年もまた、男性としての「弱さ」をこじらせた人間として設定されているのだ。