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なぜSF作家・藤井太洋はエンジニアをやめて小説家に転身したのか?
自分の人生を変えた本

この本が僕の将来を決めた

子供の頃によく読んだのは図書館にあったジュブナイルもの。出身は奄美大島で、近くに本屋さんがなかったんですよ。年齢が上になると大人版の『シートン動物記』や『ロビンソン・クルーソー』、『シャーロック・ホームズ』。

中学に入ってからSFを読むようになりましたが、小説を書こうと思ったことはありません。学生時代は平田オリザさんの舞台に関わったりしていましたが、それも舞台美術のほうで、物書きとは無縁だったんです。

ただ、振り返ってみて、あの頃この本を読んでいなかったら違っていただろうなと思わせるのが、リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』です。

何度も版を重ねていますが、初版のまえがきにある「この本はほぼサイエンス・フィクションのように読んでもらいたい。イマジネーションに訴えるように書かれているからである」という一文。自分が小説を書くようになって読み返すと、すごく嬉しくなりました。大きな影響を受けた一冊です。

初版が出た'70年代ではまだ「遺伝子が主役、私たちの肉体は乗り物に過ぎない」という発想は斬新で、検証すらされていなかった。「パラダイムが変わったよ」と大学で先輩たちが騒いでいるのを見て、「これは読まないと」と、慌てて書店に走ったのを覚えています。

 

次のジェイムズ・P・ホーガンの『未来の二つの顔』は、スペースコロニーを舞台に、人工知能の未来のあり方を描いた小説です。

巨大な宇宙ステーションを動かす人工知能「スパルタクス」が、科学者が計画したテストに恐怖を覚え、反乱を起こす。この作品がよくあるSFと異なるのは、人工知能が「人格」をもった存在として描かれていないこと。

宇宙ステーションに張り巡らされたネットワークを用い、自己保存のための工作はするけれども、人間に語りかけはせず、あくまで機械として描かれている。けれども、その反応のひとつひとつに悪意や恐怖が見え隠れするところが面白い。

言葉の紡ぎ方は今も昔も同じ

私は小説を書き始めてまだ4年です。東日本大震災と原子力発電所事故後の放射能に対する報道が恐怖心を煽るガジェットとして使われ、科学技術に拒否反応を抱く人が増えていく様子に、これではいけないと思ったのがきっかけでした。

とにかく読んでほしいというのが先にあったので、自費出版で電子書籍にしたものをまず友人たちに読んでもらうことから始めました。それがクチコミで話題となり、早川書房から書籍にもなりましたが、そのあたりの経緯は次のアンディ・ウィアーと通じるものがあります。

火星の人』は、「オデッセイ」という題で映画にもなった長編SFで、火星探検隊の一人が事故で死んだと思われ、火星に取り残される話。ウィアーが画期的なのは、登場人物は限られ、恋愛要素もなく、悪人も出てこない。ドラマを盛り上げるガジェットをことごとく欠いているにもかかわらず面白い! という点。

陰謀などなくとも冒険サスペンスは成立するということを示した、新世代の金字塔的な作品です。

もうひとつ異色なのは文体。火星にひとり残された主人公「ワトニー」が語る文章が日々更新されていく様は、シェークスピアの時代と何らかわらず、どんな未来になろうとも人はこのように言葉を紡ぐのだろうということを実感させます。優れたSFであるとともに、ブログ文体を駆使した現代文学でもあります。