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「神ってる」流行語大賞受賞に違和感が噴出するワケ
皆が納得する言葉はもう生まれない
さやわか プロフィール

生まれない「流行」

選考委員会もこうした混乱を認識していたに違いない。1994年からは現在のように、「新語・流行語」が統一された形でトップテンが発表されるようになった。

この事実は、とても興味深い。なぜならこれは、90年代の半ばから、日本人は「時代を反映しているもの」と「単に流行っているもの」の区別が付かなくなった、ということなのだ。

別の言い方をすると、それまでは、まだ日本人の大多数が「今はこういう時代なのだ」という認識を共有し、一体感を感じることが可能だった、ということになる。

しかし90年代は昭和が終わり、不況となり、テレビや雑誌などのマスメディアも求心力を失った時代の幕開けだ。やがてはオウム真理教や阪神・淡路大震災など社会不穏を感じさせる出来事が増え、インターネットまで普及して、社会の構成員はどんどんバラバラになっていく。

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そうした中で「現代」とか「日本」というものに対するイメージは、各人で異なるようになってしまった。自分が「今年はこんな年だった」「あれが流行した」と思っても、他人は全くそう思っていなかったりする。つまり、どうかすると「流行」というものが成り立ちにくくなってしまったのだ。

だから「新語・流行語大賞」も「時代を反映しているもの」と「単に流行っているもの」を、うやむやな形で一緒くたに扱わざるを得なくなる。あるいは一緒くたにしたところで、日本人の誰もが見て納得のいく言葉を並べられるはずもない。

となると、とりあえず大ヒットしたとされる商品名を上から順に並べていくしかなくなる。そういうことかもしれない。

 

誰も「社会」を語れない

近年は「アベ政治を許さない」「SEALDs」「保育園落ちた日本死ね」などの語がノミネートされたり、あるいは受賞したことで、政治色が強いとか、特定の政治思想に偏っているという意見もあったという。昨年まで選考委員だった鳥越俊太郎氏の意向が強かったせいではと言う人もいる。

しかし過去の受賞を見ると、第1回の新語部門・銀賞の「鈴虫発言」から2013年のトップテンに入った「アベノミクス」にいたるまで、この賞には政局にまつわる言葉が常にある。

昔はそれに批判が寄せられることは少なかった。それは、社会全体が政治について、だいたい似たような考え方をしていたからに違いない。

ところが近年では、ことさら政治性や特定の政治思想へ偏っていると感じてしまう。そのこと自体が、この国のものの見方がひとつにまとめられなくなってしまったことを意味しているのではないだろうか。

だいたい選考委員は、鳥越氏はともかくとして、姜尚中、俵万智、室井滋、やくみつる、箭内道彦らである。政治信条の偏りを問う前に、そもそも彼らに現代のことがわかっていると言えるのだろうか。「PPAP」やら「聖地巡礼」のことを、どこまで評価できるのか。

かといって、では誰であれば今の社会全体を語るのにふさわしいとも言えない。

ならば、一般からの多数決で決めればいいという人もいるだろう。そういう意見が出てくるのは非常に理解できる。世論がバラバラでまとまりきらなくなった結果、投票によって白黒つけてしまおうという発想は、他ならぬ政治の世界で着々と進行しているからだ。

そういう意味では、今年のノミネート語で言えば「EU離脱」とか「トランプ現象」というのは、皮肉にも世相を反映した言葉だったと言えるかもしれない。

しかし、それがさらなる混乱と騒動をもたらすことについても、既に周知の事実である。それは、数の暴力にものをいわせる時代が到来しているという意味だ。歓迎すべき時代性ならば、喜んで賞をあげたいところだ。しかし、そうもいかない。悩ましい時代である。

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