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エンタメ
記憶に残るテレビCM「名キャッチコピー」を勝手にランキング
PPAPがCMならバカ売れしたはず
小田桐 昭(おだぎり・あきら)
'38年北海道出身。'61年、電通に入社。CMプランナーの第一人者に。カンヌ国際広告祭グランプリなど国内外で200以上の受賞歴がある
しりあがり寿(しりあがり・ことぶき)
'58年静岡県出身。'81年キリンビールに入社。13年間広告宣伝を担当したのち、漫画家として独立。代表作に『弥次喜多in DEEP』など

テレビCMでモノが売れた時代

しりあがり 小田桐さんが広告業界に入ったのは、テレビコマーシャルの黎明期ですよね。

小田桐 電通に入社したのが'61年です。当時、広告代理店という業種を知る人なんて、ほとんどいなかった。下宿先のおばさんに「電柱に登る仕事なの?」って聞かれたくらいだから(笑)。

しりあがり 最初に手掛けたのは何の広告ですか。

小田桐 初めての大きな仕事は、服部時計店の「◯時をお知らせします」。'64年東京五輪の公式計時に選ばれ、現在は世界のSEIKOになりました。担当ではありませんが、植木等が「ナンデアル アイデアル」と傘をさしておどけるたった5秒のCMを今でも覚えています。見たり聞いたりしたら絶対に忘れない。それが名作CMの条件でしょう。

 

しりあがり '60年代は冷蔵庫や洗濯機などの白物家電が飛ぶように売れた時代。CMの役割も大きかったんですか?

小田桐 ええ、家電メーカーが「明るいナショナル」「光る 光る 東芝」と新商品をテレビでCM宣伝すればモノが売れた時代です。人々の給料も倍々ゲームで上がっていました。森永エールチョコレートのCMのように、国民がみな、上を向いて元気に「大きいことはいいことだ」と歌っているような時代の気分がありました。

しりあがり 僕の少年時代に流行ったのは、大橋巨泉が万年筆を片手に唱えていた意味不明な呪文のような「はっぱふみふみ」(パイロット)。友達とマネして遊んだなぁ。

ピコ太郎がCMだったら!?

小田桐 あれはカナダの文明批評家・マクルーハンが唱えた「メディア論」を立証しようとして作ったものなんです。簡単に言えば、意味不明な言葉こそ、頭に残る、と。ヘンな言葉をしゃべるのも実は確信犯です。

しりあがり そんな画期的な試みだったんですか! 「う~ん マンダム」もそう考えれば、流行語になったワケがわかります。BGMに歌手・ジェリー・ウォレスの『男の世界』が流れていて、この曲とフレーズを友達と口ずさんでいました。まだ男性化粧品なんて無縁の中学生だったのに。

小田桐 '70年になると、映画産業が衰退し、テレビが一番の娯楽になります。いつも居間のテレビのスイッチが入っていて、家族みんなで見ていた。そんな世の中を大宅壮一さんは「一億総白痴化」と揶揄されましたが、気になる音や言葉が聞こえれば、赤ん坊だって振り返る。そんな不思議な魅力が、テレビCMにはあります。

しりあがり 確かに、最近、ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン」がブレークしましたが、あれがペンの広告だったら、商品はバカ売れしていたでしょう。面白ければ、説明なんて不要です。

小田桐 その後、日本社会も時代の転換を迎えます。栄養ドリンクの「5時から男」(中外製薬)や「24時間戦えますか」(三共)など、高度成長期からバブルにかけて、CMの主役は働く男。作り手は働き過ぎのサラリーマンへの皮肉も込めていると思います。日本人は海外から「エコノミック・アニマル」とバカにされていましたから。

しりあがり そういう意味では国鉄が「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンも張りました。

小田桐 はい。自分たちは何を目的に働いているのか、旅をして見直そうと、改めて問いかけた。

しりあがり 後にその流れで熟年夫婦向けに展開した「フルムーン」キャンペーンは、小田桐さんが手がけたんでしたよね。上原謙と高峰三枝子の二大スターが出演して、映画のワンシーンみたいでカッコよかった。

小田桐 実在の夫婦を登場させて大失敗したことがあったんです。リアルすぎたのか、お茶の間にソッポを向かれちゃって。だから、お二人には思いっ切り若作りしてもらって、不倫旅行っぽいフィクション仕立てにした。そしたら、見事に当たりました。