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山口組・顧問弁護士が明かす「地盤沈下するヤクザの歴史と最前線」

絶対に抗争はするな!

山口組 顧問弁護士』 を著した山口組・元顧問弁護士の山之内幸夫さん。長きに渡り暴力団を見続けてきた山之内氏に、その歴史と最前線を縦横無尽に語ってもらった。

「ヤクザの代紋」の重み

―本作は、'84年から30年にわたって、顧問弁護士を務めるなどしながら日本最大の暴力団「山口組」を見続けた筆者の半生を綴った手記です。昨年8月末、「山口組分裂」の第一報を聞いたエピソードから始まります。

まったく寝耳に水でした。ただ、考えてみれば、その原因は理解できないことではない。原因を分析すると、カネと人事、(六代目山口組・司忍組長の出身母体である)弘道会方式の導入、プラス(山口組の主流派だった)山健組いじめということでしょう。

 

たしかに私の目から見ても、六代目体制は風通しが悪くて、息苦しいところがありました。司さんと、同じく弘道会出身の髙山清司若頭が強引にトップダウンの組織を作った。強権支配というのは、強靭な組織を作るにあたって一概に悪いとは言えませんが、強引すぎました。

弘道会の実績、司組長以外に六代目候補がいなかった事実は歴然としているのだから、もう少し時間をかければ、髙山若頭の目指す「強い山口組」実現もやりやすかったと思う。

一方、五代目時代、「山健組にあらずんば、山口組にあらず」とまで言われ、隆盛を極めていた(山口組二次団体の)山健組ですが、この勢力を分散させることが六代目誕生の隠れた目的でした。山健組組長の井上さんに対しては圧迫がキツかったでしょう。

井上さんを担いで六代目山口組を抜けた人は、そんな井上さんを応援しようとしています。しかし分裂は決して良いことではなく、どちらにも反省点はあると思うんですがね……。

―かつても山口組には分裂抗争がありました。代表的なのが、'85年からの山一抗争です。間近で見ていた当時の描写は、非常にスリリングです。

竹中正久さんが山口組四代目組長に就任することに異を唱えた山本広組長が反旗を翻し、組を割って、一和会を結成。抗争状態になりました。

これは一和会側が竹中さんを射殺するところまで行ってしまった。一和会は「菱」(=山口組)の代紋を捨てたのが失敗でした。結局、一和会は山口組に徹底的に反撃されて解散に追い込まれましたが、急ごしらえの代紋がいかに脆いかということを表しています。

その点も踏まえて、今回の分裂騒動で神戸山口組側は同じ菱の代紋を掲げているんでしょうね。

―その代紋を使って、彼らは「シノギ」(生計を立てる手段)をするわけですが、今の暴力団はどのように食い扶持を稼いでいるのでしょうか。

日本のヤクザは民事介入暴力と呼ばれる分野のシノギがかなり大きいことが特徴でした。たとえば、詐欺や恐喝、地上げ、倒産整理といった具合。暴力で威嚇して、利権を独り占めしてしまう。ただ、これらは暴力団対策法や暴力団排除条例ができて、難しくなりました。

結局、昔ながらの暴力団のシノギ、博打やノミ行為、覚醒剤といった純然たる違法なシノギに再び手を染めざるを得なくなっています。それも小さなパイを取り合っているのが実情です。

なぜ、惹かれたのか

―実際、警察の取り締まりが厳しくなって、暴力団員の生活が苦しくなっていると聞きます。

普通の社会生活を送るのは厳しいですよ。マンションを借りることはできない、銀行口座は作れない、不動産も車も買うことも禁止。妻や子の名義で買っても詐欺罪で逮捕されてしまいます。

いくら反社会的勢力と言われているとはいえ、ヤクザに対する法の運用は不公平です。もはや若者がヤクザに魅力を感じるような時代ではないし、ヤクザは絶滅危惧種です。