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医療・健康・食
飛び抜けて高い死亡率…平尾誠二、川島なお美を襲った「がん」の正体
手術も治療法も確立されていない

「がん=死」という時代ではなくなった。だが、どんなに優れた医師でも治せないがんがある。突然の余命宣告、残された時間はあまりに短い。平尾誠二ら有名人も、その「運命」からは逃れられなかった。

会場に起きたざわめき

「アナウンスで平尾さんの名が呼ばれ、壇上の中央まで歩いて来られる姿を見て、会場からは息を呑むような静かなざわめきが起こりました。これまでの姿とは明らかに別人で、私自身も愕然としたことを覚えています。

登壇して1時間以上にわたってお話をされていましたが、杖もつかず立ちっ放し。目を閉じて聞いていれば、とても重い病気を患っているとは思えないほど張りのある声でした。

しかし、あまりに痩せてしまった姿を目にすると、話に集中することはとても難しかった」

こう語るのは、今年4月に新聞社主催で行われた平尾誠二氏の講演会に出席した関係者だ。10月に胆管がんで亡くなった平尾氏が、最後に公の場に姿を現したのが、この講演会だった。関係者が続ける。

「個人的なお付き合いもあったので、平尾さんがご病気だということは存じ上げていました。しかし、別人のようになった姿を目の当たりにして、がんという病の恐ろしさを実感しました。そして、それでもありのままの姿で聴衆の面前に現れ、力を振りしぼって話をされた平尾さんの気丈さに大きく心動かされました。

日本ラグビー界の中心的存在として数々の戦いを制してきた男が、重い病に抗いながら、リーダーシップと強い組織について語る姿には鬼気迫るものがあった。講演が終わり、聴衆に頭を下げ、背筋を伸ばしてゆっくりと歩いて行かれる姿は今でも心に残っています」

言うまでもなく、平尾氏は30年以上にわたってラグビー界を引っ張ってきた存在だ。華麗なプレースタイル、聡明かつリーダーシップあふれる指導力は誰にも真似できないものがあった。

'19年に日本で開催されるラグビー・ワールドカップを控え、最も必要とされる人材が53歳という若さで逝ってしまった。別のラグビー関係者が語る。

「がんが見つかったのが昨年の秋だったと聞いています。その段階で、相当に進行しており、手術は難しく、余命は長くないと言われたらしい。それでも本人は気丈に病と向き合いながら、最期まで日本のラグビー界を盛り上げるという使命を全うしようとしていました」

昨年1月、同じく50代前半の若さで亡くなった元柔道選手でソウル・オリンピック金メダリストの斉藤仁氏も最後まで病に立ち向かった。氏が強化委員長を務めた全日本柔道連盟の関係者の話。

「'13年にがんが見つかってからも、闘病しながら選手の指導にあたっていた。亡くなる1ヵ月ほど前に強化副委員長だった増地(千代里)さんが電話をしたときも、『日本柔道の未来を頼むぞ』と熱く語っていたそうです」

年間2万人が死ぬ

平尾氏と斉藤氏の命を奪った病名は同じだ。

胆管がん。

 

屈強な男たちも打ち勝つことのできなかったこのがんに果敢に挑んだ女優が、川島なお美だ。'15年に亡くなった川島の闘病生活を近くで見てきた関係者が語る。

「川島さんと最後にお会いしたのは、彼女が長野県で行う舞台公演へ出発する直前でした。亡くなる2~3週間前で、すっかり痩せて筋肉も落ちていた。それでも彼女は弱音を吐いたり、つらそうな態度を見せることなく、笑顔で舞台への意気込みを語っていました」

川島は'13年の夏にがんが見つかり、その時点で余命1年を言い渡されていた。翌年1月に手術を受けたものの、抗がん剤治療は拒否して、最期まで舞台に立ち続けることを選んだ。