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金融・投資・マーケット
誰が日本を壊したか?「バブル」を検証することが今こそ必要な理由
歴史を学ばずして未来はない

バブルを知らない世代へ

「岩瀬君のようにバブルを知らない世代に読んで欲しい本を書いている」

バブル時代に日経証券部のキャップとして大活躍したジャーナリスト、永野健二氏からそのように言われていた本が、ようやく上梓された。

あの時代をMOF担として渦中で過ごし、最近では読売新聞の書評委員として筆をふるう当社(ライフネット生命)会長の出口治明をして、「あのバブルの時代は何だったのか、誰かにきちんと総括してほしいとずっと渇望していた。やっと読み応えのある1冊に出会った気がする」と言わしめた一冊である。

バブルとは一体何だったのか? 日本を壊したのは誰だったのか? バブルの最深部を取材し続けた「伝説の記者」が初めて明かす〈バブル正史〉。

私なりに本書の内容を整理すると、次の通りである。

1973年の変動相場制への移行とオイルショックを受けて、80年代には世界的な金融の自由化が進み、膨大な量のマネーが世界中を動き回るようになった。

日米独の当局は米国の不況脱出を後押しするドル安為替介入・金利引き下げなど協調的なマクロ経済政策を実施するが、国内で求められる経済政策とは必ずしも整合性が取れておらず、矛盾を孕んでいた。

本来であればこの時代に、日本も土地担保主義・銀行貸し出しを中心とした間接金融のシステムから、資本市場で資金調達を行う直接金融への移行を進めるべきだった。

野村證券が大蔵大臣に直訴した「野村モルガン信託構想」、ひとりの大蔵官僚が奔走したが挫折に終わった「興銀の投資銀行化構想」、日本初のM&A専門家とも言えたミネベア高橋高見社長が進めた敵対的M&Aなど、変革を推進する動きはあったが、それらはことごとく変革を拒むエスタブリッシュメント(大蔵省、興銀をはじめとした銀行)によって潰された。

「宮本(注:保孝・元銀行局長)は言う。『戦後40年にわたって存続してきたわが国の金融制度を根幹から覆すものであり、金利の自由化ですらまともにスタートしていない時点で、いきなり制度問題を持ち出されても、到底認めることはできない相談であった』。

もともと認めるつもりもない『案件』であるにもかかわらず、何事か考えたふりを装い、大臣に頭越しで話を持ち込まれると、過敏に反応する。『悪代官』と『農民』の関係そのものだった」(p.56)

そんななか、1985年9月のプラザ合意を受けて1ドルが242円から150円台へと急騰、日銀は円高不況対策と米国が望む内需拡大として公定歩合を86年から87年にかけて5.0%から2.5%まで下げる空前の金融緩和政策を実施し、過剰流動性による資産バブルが進んだ。

土地を担保とした信用創造、ジャブジャブな融資による地価と株価の高騰。

これはよく見られるバブルの構図である。事業会社による安価な資金調達を活用した高リスクの運用(「財テク」と呼ばれた)が横行したことはこの頃の日本の特徴か。

金融のグローバル化にまだ不慣れな日米独当局も、為替・金利・株式の相互作用ないしトリレンマ、マクロ経済政策へのインプリケーション、あるいはシステミックリスクへの対応などを十分に理解していなかったようにも感じる。

 

真の金融のプロが霞が関にいなかった

高株価を利用した敵対的M&Aも多く見られた。筆者(永野氏)は開かれた資本市場で適正な価格形成メカニズムを担う敵対的M&Aを歓迎している。

いなげや・忠実屋事件、小糸・ピケンズ事件は司法試験受験生であれば誰しも判例を学んだ事案だが、ここでも現代的な資本主義を象徴する敵対的買収の動きを、日本的な事なかれ主義で片付けようとする国内の各種エスタブリッシュメント勢力に対して、筆者は苛立ちを隠さない。これらの議論は20年経った2006年頃にも、村上ファンドなどを通じて再燃した。

加えて筆者は、バブルのダメージを抑えるためのチャンスが何度となくあったが、それが官僚や銀行に止められたことを批判的に綴っている。本書を通じて「あのときもし」という筆者のため息が何度も漏れ聞こえてくる。