Photo by GettyImages
現代史
溶けていく近代社会の「建前」〜「本音」ばかりが跋扈する時代へ
【連載】たそがれる国家(2)

次第に国家が意味を失っていく、いま世界はそんな時代に入りはじめたのではないだろうか……。哲学者・内山節が世界の大きな潮流を読み解く新連載第2回。はたしてトランプ勝利が意味することとは?(*第1回はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50071

理念より現実

1776年に出版されたトーマス・ペインの『コモン・センス』は、世界の歴史を動かした本の一冊といわれている。

1775年にレキシントンの戦いが勃発し、イギリスからのアメリカの独立戦争がはじまった。当初はアメリカ軍は劣勢であった。その渦中でアメリカの独立を鼓舞したこの本は出版され、たちまちベストセラーになる。勇気づけられたアメリカ軍は反撃に出る。そんな役割をはたした本だった。

ところがこの本の内容は、かなりお粗末である。

人民の権利を述べている部分では、かたちの上ではジョン・ロック(1632~1704)の自然法思想が使われているが、重心はイギリスから独立しても経済的な利益は維持できるというところにあった。

簡単に述べれば、独立しても利益は維持できるから大丈夫だという説得である。

独立の大義を語るときには、普通は崇高な理念のようなものが書き込まれるものだが、そんなものは感じられない。独立しても儲かるという話なのである。そういう意味でこの本は、世にも珍なる本だといってもいい。

理念より現実を重んじる精神。

この精神は「アメリカ独立宣言」(1776年)や「アメリカ合衆国憲法」(1787年)、さらには1883年のリンカーンによる「ゲティスバーグ演説」にまで通底している。この演説では「by the people, for the people」の部分がよく知られていて、「人民による、人民のための」と訳されたりしてきたが、全文を読んでみると気がつくのは全体に流れている現実主義的な精神である。

近代社会の建前

近代から現代にかけての世界は、いくつかの建前によってつくりだされてきた。

1789年のフランス革命は自由、平等、友愛という近代の理念を宣言したし、イギリスでは議会制民主主義の実現をめざす改革が進んでいた。さらに産業革命以降の世界は、経済発展をエネルギーとし、経済が発展すれば人々は豊かになっていくという理念にもとづく社会を創り上げていく。

それらの理念は、いわば近代社会の建前であったといってもよい。

 

自由や平等が本当に実現したわけではない。議会制民主主義が民意を反映した「国民の国家」をつくるわけでもない。経済発展が人々に豊かさをもたらすとはかぎらない。経済発展が「取り残された人々」や「旧来のシステムで生きている人々」を没落させ、新たな貧困をもたらすのもしばしばである。

だが、自由、平等、民主主義、経済発展が豊かさをもたらすといった建前を維持することによってでき上がったのが、近代社会なのである。

この建前は、1917年のロシア革命によって強化されることになった。

弱肉強食のような社会を放置しておけば、社会主義革命が起こるかもしれないという恐怖は、この建前を現実化する動きを高めた。

自由や平等の実現に向けて努力すること、民主主義が機能するように努力し、経済発展が人々の豊さと結びつくように努力する。社会主義革命への恐怖は、そういう動きをひろげていくことになった。

政治的には被抑圧者たちの権利の承認がすすんでいった。女性の権利、少数民族の権利、最近の性的マイノリティの権利などさまざまな権利が承認されることによって、自由と平等の実態化がはかられた。