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Jポップはミーハー? 大衆迎合? いきものがかり水野良樹が答える

商業的なものだからこそできること
伊藤 達也

ヒットの法則

水野 よく「皆が求めているものに合わせて作っている」と言われるんですよ。「またミーハーな感じで作っちゃって」と(笑)。でもそんな、皆の気持ちなんて簡単にはわかりませんよ。

それでいうと、さきほどのハイデガーの話はとても面白いと思うんです。僕がすごく大事にしているのは、自分の作るものに、皆さんの気持ちが入り込んでくるほうがいいということ。

一番いいのは、「書かされている」状態になることです。僕はよく「広場」というんですが、自分が単なる場でしかなくて、そこに皆の気持ちが入り込んできて、それがたまたま僕の手によって書かれているのが、理想の状態だと思うんです。いま世の中が求めている言葉がそこに現れるのだから、一番ヒットするはずですよね。

戸谷 なるほど。

水野 断言はしにくいのですが、場が評価される必要はないと思うんです。少しJポップに批判的な言い方になってしまいますが、商業的なものを作っている側、作品を送り出している届け手が、カリスマになることで偶像を生み出し、それがカネになることがすごく多い。

 

僕がそういうところになろうとしてなれなかったというのも大いにあるけれど、ただそれをなるべく排除して、世の中にある気持ちが通っていく「広場」になるのが僕の理想なんです。

戸谷 そういうお話を聴いていると、やはりJポップと哲学は親和性があるんだなと。少なくとも水野さんのようなアーティストがJポップを担っている限りは、Jポップと哲学は関係がある。

水野 すごい褒め言葉(笑)。

Photo by Yuki Matsui

戸谷 たとえば、卒業ソングとしての「YELL」でグサっとくるのは、時代の意識を鋭く反映しているからだと思うんです。

卒業ソングの歴史から考えてみると、1980年代は、校内暴力が流行っていた時代です。大人が生徒たちを監視していた。若者たちはそれに対して反逆しようとしていた。尾崎豊の歌詞がまさにそうです。80年代であれば、社会へ飛び立てないのは、「大人が俺たちを抑圧してるからだ」と描かれていたでしょう。

しかし90年代以降は、壁になる大人がなくなっていき、国際的にも冷戦が集結して「敵」のような存在がいなくなった。皆が共有する方向性、エネルギーの発散する先がなくなっていった。

学校の場では、クラスの共同体でみんなが空気を読み合うような、そんな雰囲気が生まれていって、友情のイメージも変遷しながら、現代に至っている。

「YELL」には、そういう時代の友人関係の難しさ、友人関係のなかで生き方を選ぶことの苦しさが描かれている。けれど、「YELL」という歌がなければ、それは漠然とした形のないものに過ぎなかった。

歌があってはじめてそこに言葉が生まれてくる。それはたんに個人の思いにマッチするだけではなくて、社会全体にも言葉を与えていく。そんな力がJポップにはあるのかなと思います。

水野 頑張ります(笑)。本当だったら、もしかしたら90年代とか今よりさらにJポップが社会に深く繋がっていた時代の音楽が、哲学などの視点から批評されるべきだったのかなと思うんです。今は大衆音楽の力はすごく弱まっているので。

戸谷さんのお話は、哲学と大衆音楽をつなげてくれるものだと思います。これは願望でしかないですが、僕は音楽で飯を食べ始めてしまったし、いろんな物を音楽に貰ってきたので、音楽が社会と繋がっていてほしいと思っている。

いつか倒れるかもしれないけれど、自分がやれることがあるのであれば、少しでもその力になりたい。世の中の考えに影響を与えた曲はたくさんありますから、そんな曲に少しでも近づけたらと思います。
 

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水野良樹氏による自伝的ノンフィクション!