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Jポップはミーハー? 大衆迎合? いきものがかり水野良樹が答える

商業的なものだからこそできること
伊藤 達也

「じょいふる」制作秘話

戸谷 Jポップへの批判としては、大衆へ迎合している、アーティストの作家性が犠牲になっているというものがあります。ただ、いきものがかりさんの曲は多くの人に支持されているのにもかかわらず、楽曲には水野さんの個性が強く現れていますよね。

水野さんが楽曲を制作されるときは、多くの人に受け入れられるという可能性と、自分の気持ちを表現するということにどう整合性をつけているんですか?

水野 難しいですね……。すごく難しい。整合性をつけようにも、どうしても、自分というものからは逃れられませんから。自分の考えている範囲でしかスタートできないから、自分の考えているものを書きたくなくても書いてしまう、という面はあるかもしれません。

ただ、書いている最中はどれだけ自分と違う考えを持っている、自分という文脈と違うところにいる人に届くかを意識しています。そうしないと、意味が無いと思うんです。

わかり合っている人へ書くのであれば、その場で言えばいい。分かり合っているなら、そもそも言葉も必要ないかもしれません。わかり合ってないからこそ、間に歌が必要になる。そんな思いが常にあります。

戸谷さんの問いに答えるのは難しいですけれど、ゼロイチではなくて、混濁しているような状態です。

 

戸谷 『いきものがたり』のなかの、「じょいふる」に関するエピソードが印象的でした。「YELL」の歌詞は本当に洗練された、考え込まれて作られたものでした。でもそれゆえに、周りから「これはどういう意味なんですか」と訊かれ続けた。

だからその反動もあって、「YELL」とはまったく逆に、「意味」から解放されたいという思いから「じょいふる」の制作に至ったと。

そして、当時の水野さんの予想では、「いきものがかりはどうしてしまったんだ」と言われるだろうと考えていた。でも、リスナーからすると、「じょいふる」はいきものがかりの名曲で、いまもライブで必ず歌われる代表曲の1つです。

何が人に受けるのかわからないというか、アーティストが個性を出しすぎているのに、しかしそれが人々に受け入れられる不思議さがある。

Photo by Yuki Matsui

水野 矛盾しているものが成り立つとうまくいくことがあるんですよね。自分でもわからないことも多いんですが(笑)。

作家性という文脈で言うと、自分の書きたいもの、自分の表現したいもの、そうしたパーソナルな部分に踏み込んでいって、それを形にするというやり方はある。でも、だからこそ、それは他の人に共感されにくい。

しかし一方で、パーソナルなものに踏み込んだからこそ評価されることがあります。その姿勢であったり、覚悟のようなものですね。そしてさらに、自分の内面をとことん掘り下げた時に、普遍性につながることもある。

冒頭の「星の友情」の話にも通じるかもしれません。「自分個人の話だ」と踏み込んで深掘りすればするほど、誰にでも共通する核の部分、人間個々が必ず持っている孤独や寂しさ、内面性というものにぶち当たる。

それは梅干しの種みたいなもので、外側はみんな違うけど、種は皆持っている。そうやって突き詰めていくと、きわめて個人的な、パーソナルな曲でも、多くの人に受けいれられヒットすることがある。

その象徴的なものがRADWIMPSさんだったりすると思います。でも僕は逆で、種に行き着くよりも、「自分を消そう」という方向性で曲を作っている。どちらが正しいかはいまだに分からないですね。自分のパーソナルなものの出し具合のバランスは、本当に難しい。

戸谷 『いきものがたり』のなかでも、水野さんはリスナーとの距離感の問題に何度も言及されています。

「人はもう分かっているものには興味を示さなくて、わかりそうだけどわからないものに人は興味を惹かれるのではないか」と書かれていて、とても興味深かったんです。単純に、人の求めているオーダーに合わせて曲を作っているわけではないということですね。