Photo by iStock
エンタメ
読者の目には絶対触れない、プロの書き手と校閲者の静かなバトル
「校閲ガール」で話題!

書き手にとって校閲とは?

いまのクールのドラマでは、新垣結衣と星野源の契約結婚のドラマが面白い。

ただ、私が個人的に楽しみに見ているのは、石原さとみの校閲ドラマだ。『地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子』。日本テレビ、水曜のドラマ。

毎週水曜よる10時放送(日テレHPより)

河野悦子(石原さとみ)は大手出版社の校閲部に勤務している。その校閲部を舞台にしたドラマである。

校閲、というのは、私たち文章を書く者にとっては常に接する存在だけど、一般にはおそらくあまり馴染みがないだろう。「原稿や文章を、世間に流通する前に、間違いや矛盾を見つけて指摘する仕事」である。

校閲部員が主人公のドラマは見たことがない。

校閲者と著者の関係というのは、少し不思議なところがある。それをしっかり見せてくれている。

* * *

校閲は雑誌にも入るが、物書きとして、校閲と正面きって対峙してると感じるのは、単行本を出すときである。

著者としては、原稿をすべて書き上げ、編集者に渡したときに、終わった、と感じる。

でも、実際は終わっていない。そのあと校閲からチェックが入る。それに目を通さなければいけない。チェックの入らない原稿というのは、おそらく、存在しない。著者が、完成だとおもって渡した原稿に、すごい数の指摘が入っているのを見るのは、少々ハードである。

まったく褒められていない。ただ、間違いと矛盾が指摘されているばかりである。

 

著者と校閲の人間は、直接、顔を会わせることはない。編集者が介在する。原稿は編集者から校閲に渡り、間違いを指摘した原稿は、編集者を経由して、著者に戻ってくる。

でも、校閲の細かい指摘をすべて読んでいると、著者は校閲者本人と対話している気になってくる。

「10ページ前に書かれた部分と矛盾していますが、いいですか」「同じ表現が続いていますが、いいですか」「さきほどは〝私〟でしたが、ここでは〝わたし〟になっています。統一しなくてよいですか」

そういう声をずっと聞き続けることになる。

あきらかな間違い(漢字の間違い、慣用句の誤用、日本語表現としておかしいところ)の指摘は、とてもありがたい。ただ、細かい部分の指摘は、いや、どうでもいいでしょう、とおもうこともしばしばある。

単行本1冊となると何百ヵ所もの指摘が入っている。

「ご指摘ごもっとも。そのとおり直します」とおもうものが3割くらい、「どっちでもいいことを指摘してるなあ」とおもうのが4割、残りの3割は「いや、何を言われようと原文のまま進めてもらいたい」と断固拒否することになる。つまり7割ほどは、余計な指摘に感じられる。

でも3割の「あきらかな間違いの指摘」はとても重要である。よくよく考えれば、どこまでも著者の味方のはずなのだけれど、でも、校閲のチェックが戻ってくると、身構えてしまう。どこを否定するつもりだ、という気分でチェックを眺めるので、ついつい反発しがちである。